五島恵太郎と森野優奈が交際を始めて、すでに三ヶ月が過ぎていた。大学を卒業して一年ほど必死に職を探し回り、やっとの思いで就職した会社で恵太郎は優奈に出会った。ふわふわした柔らかい髪と、やや垂れた目つきが生む柔和な表情、そして上着を着ても分かってしまうほど大きな胸が特徴で、優奈はいつも男の視線を集める存在だった。彼女自身もまた、名前の通り優しく穏やかな性格で、立場の上では後輩に当たる恵太郎にも親切に接してくれ、そんな彼女に恵太郎は強く惹かれていった。毎日チャンスを見つけては話しかけ、夏が終わった頃に思い切って告白してみた結果、二人は正式に交際を始めることになったのである。が、恵太郎には密かな悩みがあった。
「うーん、困った」
会社のデスクで書類に目を通しつつ、恵太郎は小声で呟く。プラトニックな付き合いも悪くはないのかも知れないが、先に進みたいという欲求はあるし、とびきりの女性と付き合っていて何もないのは不自然だと自分でも思う。
「恵太郎くん、どうしたの? ため息ついたりして」
背後から、ゆっくりとした口調の声がした。子供っぽさを残す独特の声色は、確かめるまでもなく優奈のものである。恵太郎が振り返ると、湯気の立つコーヒーカップを手にした優奈がにこっと笑いながら立っていた。
「あ、優奈ちゃん。なんでもないよ」
「本当に? 考え事してたように見えたけど」
「えーっと、実は……次のデートの場所はどうしようかな、なんて」
「わあ、嬉しいなあ。でもね、恵太郎くんと一緒なら私、どこでも楽しいよ」
「俺だってそうさ」
「うん……よかった」
二人の空間が始まったのは良かったが、同時に回りの視線が痛い。周囲から「ちくしょうあの野郎」「イチャイチャしやがって」「将来ハゲろ」などといった呪詛の言葉が聞こえ始めてきたので、恵太郎は優奈の差し出したコーヒーを受け取り、再び仕事に集中することにした。
「――終わったっ。あー、疲れた」
書類の整理が片付いて伸びをすると、いきなり首を抱え込まれて椅子ごと倒れそうになった。
「よっ、優奈と上手くやってるか青年」
「わわっ、倒れる倒れる」
いきなりこんな事をしてくる人物は、恵太郎が知る限り一人だけである。
「驚かせないでくださいよう明美さん」
「あはは、相変わらずチキンだねー。男のくせに肝っ玉が小さいんだよお前は。アッチも小さいんじゃないの?」
「下品なことを言わんでくださいよ」
けらけらと笑うのは、優奈の姉である森野明美。彼女は優奈の三つ上の姉であり、艶のある黒髪のボブカットとモデル並みにスレンダーな体型、そこらの男よりも豪快で強気な性格という、美人であるということを除けば優奈とは何もかもが対照的な存在だった。
「さっき優奈がニコニコしてたからさ、なにかあったかなと思って」
「べ、別になにも」
「会社ではそれでいいけどさ。あんた達まだキスもしてないらしいじゃん」
「ちょっ……他の人に聞こえたらどうするんです」
「グズグズしてないでさー、男らしくガーッと決めりゃいいんだよ」
「そんな無茶な」
「分かってないねー。女ってのはちょっとくらい強引に迫られたいんだよ。優奈はのんきだからまだいいかもしんないけど、三ヶ月も付き合っててなにもなしって、いい加減愛想尽かされるよ?」
「ううっ」
「ったく、しょうがないなあ。こうなったらあたしが一肌脱ごうじゃないの」
「な、なにをするつもりですか明美さん」
「まーまー、この明美さんにまかせときなって。上手く行くように仕向けてやるから」
「それが一番不安なんですが……」
「男なら自分から行動しなよ恵太郎。じゃね」
恵太郎の頭を乱暴にはたいて、明美は去っていく。
(確かに……なんとかしなきゃなあ)
椅子の背もたれに身体を預け、恵太郎は二度目のため息をついた。
その週末、恵太郎と優奈の二人は明美の紹介で、田舎のとある温泉旅館を訪れていた。経営者が明美――正確には彼女たちの両親――と馴染みらしく、割安の料金で良い部屋に泊めてもらうことができた。ふたりきりで外泊するという状況に恵太郎は緊張しっぱなしであったが、優奈は部屋の窓から身を乗り出して自然の眺めを喜んでおり、あまり気にしていない様子である。
(うーん、女っていざとなると度胸があるんだろうか)
そんな事を考えつつ、恵太郎は優奈と温泉街でデートをすることにした。縁結びの神社にお参りをし、同僚へのお土産を見て回ったりしているうちに、時間はあっと言う間に過ぎていく。やがて日も暮れ始め、恵太郎と優奈は宿への道を引き返していた。
「いっぱい買い物しちゃったね」
「そうだね、名物の地酒も買っておいたし、明美さんがいたら喜ぶだろうな」
「うん、お姉ちゃんお酒大好きだもんね」
「優奈ちゃんも結構強かったよね」
「血筋なのかなあ。お父さんもお母さんも強いし」
「俺たち新入社員の歓迎会で、優奈ちゃんやたらとお酒勧められてたけど、一緒に飲んだ奴はみんな先に潰れちまってさ。明美さんに引きずられてどこかに消えてたよな。ありゃ凄かったなあ」
「どうしてみんな私にお酒を飲ませたがるのかしら」
「うーん」
もちろん助平な下心があるからなのだが、優奈には秘密にしておこうと恵太郎は思う。
「おいしそうに飲むからじゃないかな」
「お酒は好きだけど、本当は静かに飲むのが好きなのに」
「はは、酒の席じゃ仕方ないさ。今日ならゆっくり飲めるよ」
「うん。恵太郎くんも付き合ってくれる?」
「もちろん」
「わーい」
無邪気に笑いながら、優奈は恵太郎と腕を組む。腕に伝わる柔らかな胸の感触に、相変わらず恵太郎はドキドキしてしまう。すでに何度もデートを重ねているし、良いムードになれば抱きしめてキスをしたいとは思うのだが、その後で自分の理性が持つか自信ががないのである。優奈が女性としての魅力充分なだけに、欲望に任せて彼女を傷つけてしまいやしないかという不安が、あと一歩と言うところで恵太郎を踏み止まらせてしまう。そんな状態が続き、気付けば付き合い始めて三ヶ月。今のところ優奈本人が気にしている様子は見えないが、いずれ彼女を不安にさせてしまうんじゃないか――それが恵太郎の悩みだった。
旅館に戻る頃にはすっかり日も暮れ、ちょうど夕食の準備もできていた。和牛を使った豪華な鍋料理に舌鼓を打ち、会話も弾む。やがて温泉の用意ができたと女中が伝えに来たので、恵太郎は先に優奈を行かせた。一人になってしまうとなにやら落ち着かないもので、恵太郎は意味もなく荷物を整理したり、立ったり座ったり。
「大の男が落ち尽きないねー。もっとどっしり構えてなって」
「うわあ!?」
いきなり声がして振り返ると、なぜかそこに明美の姿が。黒髪をかき上げて、彼女はふっと笑みを浮かべる。
「なんでここにいるんですか」
「来たからに決まってんでしょ」
「そういう意味じゃなくて」
「まーまー、細かいことは気にしない。ところで恵太郎」
「な、なんでしょう」
「今夜はヤれそう?」
「ぶっ!?」
直球ストレートな発言に、恵太郎は派手にコケた。
「いきなりなんつーことを言うんですかあんたはっ!」
「温泉旅館でふたりきり。ここでなにも始まらないようじゃあ、姉として認めるわけにはいかないねー」
「いいい、いやしかし、優奈ちゃんの気持ちとかそういうのもあるわけでっ」
しどろもどろになりながら、恵太郎はぶんぶんと首を振る。
「やれやれ……ま、そこがあんたの良いところなんだろうけどさー。優奈は今でも狙ってるバカ共が多いんだよ。ここら辺で男見せないと、他の奴にさらわれちゃうよ。恵太郎、あんたはそれでいいの?」
言いながら迫る明美の迫力に、恵太郎はゴクリと唾を呑む。
「あんたがどんな答えを出すのか、ちゃーんと見せてもらうからね。それじゃ、頑張りなよ」
手をひらひらと振りながら、明美は部屋を出て行った。唖然としていた恵太郎が我に返ると、男湯の準備もできたと女中さんが伝えに来た。複雑な気分を抱えたまま、恵太郎は男湯へと向かう。
「さて、ここから面白くなるねー、くっくっく」
廊下の角で恵太郎の後ろ姿を眺めながら、明美は悪戯な笑みを顔いっぱいに浮かべた。
男湯と書かれたのれんをくぐり、服を脱いで戸を開けると、自然石で作られた天然の露天風呂が恵太郎の目に飛び込んできた。年の瀬も迫ってきた今の季節だと、冷たい空気のおかげで湯気がもうもうと立ちこめていて、濃い霧が発生したかのようである。風呂の広さはかなりのもので、端までは結構距離がある。湯船の中央には大きな岩があり、その向こう側に誰かいても入り口側からは見えない。それだけ広い風呂にもかかわらず、他の客がいないことに疑問を感じたが、とりあえず恵太郎は湯船に浸かることにした。
「くはぁ〜っ、しみるなあ」
普段の疲れが一気に吹っ飛ぶ心地よさに、思わず声が出てしまう。立ちこめる湯気の中で大きく深呼吸をすると同時に、岩の向こうの方で声がした。
「いい湯だな〜はははんっ。はぁ〜っ」
聞いた事のある声である。が、恵太郎の心臓は凍り付きそうになった。間延びして子供っぽさを残すこの声は、間違いなく優奈の声だ。
(ななな、なんで!? どうして優奈ちゃんが男湯にいるんだっ!?)
恵太郎は知らないことだが、全ては明美の策略であった。旅館の従業員と結託し、人払いをした上で男湯と女湯を入れ替え、準備中と嘘の表示をしておいたのである。この旅館には他の浴場もあるし、男湯と女湯が日によって入れかわるため、誰もそれを気にしなかった。
(と、とりあえず風呂から逃げないと)
恵太郎はなるべく音を立てないように湯から上がると、脱衣所の戸に手を掛ける。ところが内側から鍵がかかっていて、どうやっても開かない。
(ど、どうしよう)
他に出入り口はなく万事休す。行くも引くもできずに立ち往生していると、別の問題が恵太郎に襲いかかる。冷たい空気に晒されて、身体が急激に冷えてしまったのだ。
「は……はっくしょん!」
盛大にやったあとで口を押さえたが後の祭り。しっかりと聞こえてしまったらしく、岩陰から優奈が顔を出して、恵太郎の方を見た。
「あれぇ〜、恵太郎くんだ」
「いっ!? いいい、いや違うんだ! これには海より深いワケが……!」
「一緒に入るなら最初からそう言ってくれればいいのに〜。こっちおいでよ、いいお湯だよ〜。あははははは」
大胆な発言に恵太郎は耳を疑ったが、すぐに理由が分かった。優奈の近くに浮かぶ桶の中に、お酒の徳利が入っているのが見えたからだ。これも明美の仕込みなのだろうと、恵太郎は心の中で呆れていた。しかし、裸のまま寒空の下で立っているわけにもいかない。仕方なく、恵太郎は隅っこの方へと移動して湯船に戻った。優奈はけらけら笑いながら恵太郎を呼んでいたが、やがて優奈の方から近づいてきた。湯気の中から現れた優奈は、タオルひとつさえ巻いておらず、湯船に浮かぶ大きな胸にどうしても目が行ってしまう。だが優奈は酔いが回っているせいか、まったく恥ずかしがる様子もなく、恵太郎にお酒を入れた猪口を差し出す。
「おいしいよー。恵太郎くんもどうぞ」
「いや、えっと、あの。今はそれどころじゃ」
「わたしのおさけがのめないのかー。なんちゃって。あはははっ」
間近で見る優奈の顔は艶めかしく、恵太郎は沸き上がる衝動を抑えるのに必死だった。優奈の白い肌はほんのりと桜色に染まり、張りのある肌の上を珠になった水が流れ落ちていく。柔らかな体つきをしてはいるが太ってはおらず、腰もちゃんとくびれている。もしも世の女性に優劣を付けるならば、優奈は男にとってとびきり上等な身体の持ち主であると言うことは、もはや疑いようもなかった。これ以上彼女を視界に入れていたら理性が持たない。恵太郎は目を逸らし、頭の中で円周率を数え始めた。
「ねーねー、飲もうよ恵太郎くん」
「優奈ちゃん、俺たちは騙されてるんだよ。どうにかしてここから出ないと」
「むぅ……えいっ」
優奈はいきなり抱きつき、お酒を口に含むとそれを口移しで恵太郎に飲ませた。
「んんっ……!? ちょっ、優奈ちゃん!?」
「ね……おいしい」
「酔ってるだろ」
「うん、酔ってる。でもお酒のせいでしたんじゃないよ」
「嬉しいけど、こんな事されたら……」
優奈はなにも言わず、じっと恵太郎の言葉を待つ。
「どうなっても知らないぞ」
「大丈夫。信じてるから」
「優奈ちゃん……!」
優奈を抱き寄せ、恵太郎は唇を奪うようにキスをする。初めてにもかかわらず、唇と舌を奪い合う大胆なキス。口の中で混じり合う酒の匂いが、思考を甘く痺れさせていく。
「んっ、んんっ……ちゅっ、ちゅっ……」
舌が疲れるほどのキスが続いた後、恵太郎は優奈の胸に手を触れた。片手では収まりきらない大きな乳房は、ふわふわとして柔らかい。持ち上げたり揉んだりと、感触を充分に楽しんだ後、恵太郎は先端の蕾に吸い付いた。
「ああんっ……恵太郎くぅん」
ちゅっちゅっと音を立てて乳首を吸った後、胸全体にも舌を這わせキスをする。優奈の肌は温かく、温泉の湯がそうさせるのか、ほんのりと甘い。続けられる胸への愛撫にたまらなくなって、優奈は恵太郎の顔をぎゅっと抱きしめる。柔らかな膨らみを顔に押しつけられ、恵太郎は今まで感じたことのない幸福感を味わった。
(き、気持ちいいけど身動きが取れないぞ。よーし)
恵太郎は正面から優奈の尻を抱え、湯船の縁に持ち上げて座らせる。自分は湯船へ沈むようにすると、胸と腕の間を通り抜けて、自由になる事が出来た。水面に顔を出して優奈を見ると、上気した身体から湯気が立ち上り、抜群のスタイルもあって、言葉に出来ないと思うほど色っぽく見えた。
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