純情恋奇譚

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後編



 翌日、気持ち良く晴れた空の下、いつものように純が綾乃に会いに行くと、門の前で綾乃がじっと立っているのが見えた。特に何かをしている訳でもなく、待ちぼうけといった様子である。小走りで彼女に近づき声を掛けると、麦わら帽子越しに見えた彼女の顔が、一瞬だが明るくなったように見えたが、すぐそばに近づいてもう一度よく見ると、いつもの通りの表情が少ない顔に戻っていた。

「こんちゃーっす綾乃先輩!」
「……また来たのね」
「つか、今日はなんで外に? あ、もしかして俺を待ってたとか?」
「ち、違うわよ。買い物行こうとしたら、偶然純が来ただけでしょ」

 珍しく声を強めて否定する綾乃だが、どこか恥ずかしそうにもじもじとしている。

「えー、なんか退屈そうに立ってたじゃないッスか」
「気のせいよ」
「つか、俺見て嬉しそうな顔してなかった?」
「してない」
「あーやのんっ」
「!?……けほっ、けほっ」

 綾乃は急にむせ返り、目の端を釣り上げて純を睨む。

「……なにそれ」
「いやー、可愛いかなと思って」
「べ、別に可愛くなんかない」
「とか言いつつ、本当は嬉しいん――」
「バカじゃないの?」

 ぴしゃりと純の言葉を遮り、綾乃は頬を膨らませて歩き出す。純は笑いながら横に並んで歩き、少し拗ねてしまった彼女をなだめていた。上倉駅に辿り着くとそこから江ヶ電に乗り込み、三つほど駅を乗り継いで上倉名物の大仏の近くまでやって来ていた。大仏前の通りには骨董屋や土産物屋などが色々と並び、中にはレプリカの刀剣を売っている所もあれば、見た目は普通の家だが実は本物の刀剣を扱っているような店もある。綾乃は一本奥に入った所にある骨董屋で、小さな香炉や書道に使うような墨など、こまごまとした物をいくつか買っていた。買い物を終えて表に出ると、照りつける日差しに少々目眩がしてしまう。綾乃はあまり表情には出さないが、やはりこの暑さにはいささかうんざりしている様子である。来た道を引き返して江ヶ電に乗り込むと、綾乃は上倉のひとつ手前の駅で降りようと言いだしたので、純は不思議に思いつつも綾乃に従い後に付いていく事にした。駅のすぐ隣の線路沿いに小さな和作りの家があり、入り口の小さな門には甘味と書かれたのれんが掛けられ、木製の表札に白文字で「無芯庵」と書かれている。聞く話によるとここは有名な甘味処らしいのだが、純は今日までまったく気付かなかった。

「暑いから……少し休憩」

 門をくぐって石畳の上を歩き、築百年近いという建物の中に入ると、狭いながらも見事な庭を座敷から眺めることが出来る。綾乃はあんみつを、純はよく冷えた白玉あずきを注文し、時折店の目の前を通り過ぎて行く江ヶ電の列車を眺めながら、有名な店のメニューに恥じない美味しさに舌鼓を打っていた。餡の上品な甘みがさらりと口に広がり、もちもちとした白玉や寒天がいくらでも入りそうなくらいであった。

「あー、マジ美味かった。地元にこんないい店があったとはなー。綾乃先輩は良く来るんスか?」
「時々……」

 食後のお茶を飲みながら、二人は縁側に腰掛けていた。日よけのために赤い和傘が庭先に立て掛けてあり、相合い傘をしているようにも見える。のんびりと過ぎていく時間を堪能していると、綾乃がふと純に訊ねた。

「ねえ……純は今、楽しいことが無いの?」
「え、なんスか急に」
「この前、そう言ってたでしょ。将来の目標とか、そういうのも無いの?」
「んーと。とりあえず大学出たら記者でも目指そうかなって。俺、情報集めとか写真撮るの結構得意だしさ」
「そう……それで幽霊を撮りたいなんて」
「ガツンと気合いの入ったネタ用意しないと、後で売り込み出来ないからな。光太郎やはるかにはバカだと思われてるだろうなー、俺」
「あの人たち……純の友達なんでしょ」
「おうよ、光太郎もはるかも俺の幼馴染みにして心の友、いわゆる魂の兄弟ってやつだぜ!」
「でも純はあの女の子の事……」
「言うなって。もうずっと前に諦めたことさ」

 珍しくトーンの落ちた純の返事に、綾乃はすまなそうな顔をしてうつむいてしまう。

「もう決着は付いてるんだ。めでたくあの二人は付き合って上手く行ってるし、俺がどうのこうの言うべきじゃないだろ」
「どうして……諦めたの?」
「光太郎もはるかも俺の大事な仲間だし、二人とも本当にいい奴だよ。俺が少年野球やり始めた時も、自分の事みたいに一所懸命応援してくれてさ。あいつらが応援してくれるのが嬉しくて、俺もアホみたいに練習して……楽しかったな、あの頃は」
「……」
「一時は本気で野球の選手目指そうかとも思ったんだけどな……ある日偶然、聞いちまったんだ」
「聞いた……?」
「はるかが光太郎を好きだって事。いくら俺が頑張っても、あいつは俺のことを特別には見てくれないんだって分かったら、急に虚しくなってさ。気付いたら野球の成績もどんどん落ちて、結局辞めちまったよ」
「そう……純にもつらいことがあったのね」
「よしてくれよ。まるで俺が可哀想な奴みたいだろー。このもっちー様はお気楽極楽、常に明るくがモットーなんだぜ」
「うん……わかってる」

 綾乃のその言葉が嬉しくて、純は感謝の気持ちを込めた笑顔を見せた。見計らったように江ヶ電が店の前を通り過ぎ、再び静けさが戻ると、軒に掛けられた風鈴がちりん、と涼やかな音を鳴らした。あんみつと白玉あずきを平らげた後、肝試しの場所や予定を相談し終えてから、純と綾乃は甘味処を出た。帰る方向が反対の純は、目の前の駅から江ヶ電に乗っても良かったが、上倉駅まではたった一駅しかない事もあり、そこまで綾乃に付き合うことにした。サンダル履きで砂利の上を歩きにくそうな綾乃の手を引いて線路を乗り越えると、二人は住宅の間を通り抜けて駅前通りに出た。通りは駄菓子屋やアンティークショップ、レストランなど様々な店が軒を並べており、行き交う人の間を縫うように歩いていると、雑貨屋からビニール袋を下げたはるかが出てくるのが見えて、純は手を振って声を掛けた。はるかはタンクトップにレースのカーディガンを羽織り、ロールアップしたジーンズを履いている。楽そうな格好ではあるが、愛らしい顔立ちと抜群のスタイルは、自然と周囲の視線を集めてしまう程の魅力に溢れている。

「よっ、はーるか!」
「あっ、奇遇だね純くん。それに藤沢先輩もこんにちは」

 はるかはニコッと笑顔を作り、綾乃に向かってお辞儀をする。綾乃も釣られて軽く頭を下げたが、変化の少ない表情は相変わらずである。

「なにしてんだ、こんな所で」
「台所の洗剤とか、消毒用のスプレーとか切らしちゃったから買いに来たの。純くんはなにをしてたの? あ、もしかして藤沢先輩デートとか?」

 嬉しそうにはしゃぐはるかに、純は手をひらひらと振って「ないない」と苦笑する。

「んな色気のあるイベントだったら、もっと喜んでるって。例の話を打ち合わせたりしてたんだよ。毎日足しげく通う俺って健気だろ」
「それって健気って言うのかな……でもさ、本当は良いコトあるかなーって期待してない?」
「そうなんですよー奥さん、実はちょっぴり……っておい、なに言わせんだーっ」
「あはは、やっぱりねー。純くんも昔からスケベだもんねー」
「やっかましい! 男がスケベなのは当たり前だろがっ。それに俺は名前の通り、純情で一途な男なんだぜー?」
「あー、光太郎と同じこと言ってる。もう、どうして男ってのは……」

 純とはるかにとっては、いつも通りの会話に違いない。

「でもさ、こうやって喋るのも久しぶりだね。純くんが戻ってきてくれて嬉しいな。東京で一人暮らしだもんね」
「マジで!? やはり俺のように身も心もイケメンな男は忘れられねーよな!」
「そういうのとは違うかも」
「ぐっ……べ、別に喜んだりなんかしてないんだからねっ」
「純くんそれ気持ち悪い」
「やっかましいわ!」
「あはは、それそれ! いつも純くんが面白いこと言って笑わせてくれてたから、それが聞けなくなるとちょっと寂しいね、って光太郎とよく話してたんだよ」
「ふふん、ようやく俺の偉大さに気が付いたかっ。いいんだぜ、今ならこの胸に飛び込んで来てもよ?」
「うん、遠慮しとく」
「そうでございますか」

 躊躇いのない即答に、純もなぜか丁寧語になってしまう。

「でもね、純くんには感謝してるんだよ。私たちが恋人として付き合えるように、光太郎の背中を押してくれたんでしょ?」
「……ちっ、光太郎の奴め。余計なこと喋りやがって」
「純くん?」
「あーっと、なんでもねえよ。あの時のお前ら、すれ違ってギクシャクしててよー、近くで見てる俺もたまったモンじゃねえやって感じだったからな」
「今思うとバカバカしいけど、あの時はなかなか素直になれなくて……」

 はるかは視線を空に向けて遠い目をする。そんな彼女に一瞬見とれてしまったのを誤魔化すように、純は言った。

「なあ、はるか。ちょっと質問していいかな」
「なあに?」
「今さ……楽しいか? その、毎日充実してるかって意味で」
「うん、とっても。将来の目標もあるし、光太郎が隣にいてくれるし……今が人生で一番充実してる時期なんじゃないかな、うふふ」

 はるかは幸せそうに微笑みを浮かべたが、純は彼女の顔を最後まで見ていることが出来ず、つい目を逸らしてしまう。

「そ、そっか。少しは頑張った甲斐があったわけだ。よかったな」
「うん、本当にありがとね純くん」
「おう、感謝しろよー。俺の写真を神棚に祭って、一日三回拝むくらいにな」
「えー、それは嫌かも」
「嫌なのかよ! 恩人じゃねえの俺!?」

 それからも純とはるかは他愛のない雑談を交わしていたが、そんな二人をじっと見つめていた綾乃は、麦わら帽子を深く被って顔を隠し、なにも言わずその場を立ち去った。

「あれ、綾乃先輩? ちょっ、待ってくださいよー」

 遠ざかる綾乃に気付いた純が呼びかけても、彼女は振り返りもせずに行ってしまう。

「やっべ、追いかけなきゃ。悪いはるか、また今度な」
「うん、バイバイ純くん」

 小さく手を振るはるかに背を向け、純は綾乃を追いかけて走る。すぐに追いつくことは出来たが、綾乃は純が話しかけてもなかなか返事をしない。

「どういしたんスか綾乃先輩。俺もしかして、怒らせるような事やっちまいましたか?」
「……」
「いやホントもうすんませんっ。お前は調子に乗りすぎるって光太郎やはるかにいつも注意されてんのに」

 純が面目無さそうに謝っていると、不意に綾乃は足を止め、真っ直ぐ前を向いたまま言った。

「別に……怒ってない」
「そ、そっか。なら良かったけど、なんで急に歩き出したり……」
「明るくて……可愛い子ね」
「へ? ああ、はるかの事っスか?」

 綾乃はいつものように、こくりと無言で頷く。

「あいつは上倉学園でも人気トップのアイドルだったからなー。とにかく男子に人気があって、ライバルも多かったんスよ」
「知ってる……占いやってた頃、あの子の事聞きに来る男子も大勢いたから……」
「だろうなあ。俺はあいつと付き合い長いけど、今見てもやっぱ可愛いなって思うし」

 純がしみじみ呟くと、綾乃は寂しそうにうつむいてしまう。

「ああっ、もう。そんな顔してたらダメだって。せっかくの美人が台無しだぜ」
「そんなお世辞いらない」
「いやいや、マジですから!」
「ねえ、それよりも純……あなた東京で一人暮らししてるの?」
「おうともよ。未来の記者目指して一人暮らしさ!」
「どうして上倉を離れたの? 東京ならここからでも通えるのに」
「あーっと、そこ突いてきたかあ……」
「ねえ、どうして? やっぱり……あの子の事で?」

 純は顔を上げ、夏の青空を見上げる。そのまましばらく純は黙っていたが、ほんの一瞬、彼の横顔に差し込んだ寂しげな表情を綾乃は見た。

「純……?」
「おっと、なんだっけ」
「どうして上倉を離れたのか……って」
「確かに光太郎とはるかの事もあるけど……まあそいつは半分って所かな」
「残り半分は……?」
「家庭の事情ってやつ。俺がまだチビの頃、母さんが交通事故で死んじまってさ。あの時は光太郎とはるかにはずいぶん励ましてもらったし、あいつらがいてくれて本当に嬉しかったよ。この恩は今でも忘れてないぜ……っと、話戻さなきゃな。それから俺が中学生の頃に父さんが再婚して、我が家に新しい母親が来たわけよ」
「そう……だったの。ごめんなさい」
「あー、気にしなくていいから。俺だってガキじゃねーし、今の母さんとも上手くやってるよ」
「じゃあどうして家を出るなんて……」
「高校の卒業前に弟が生まれたんだ。母さんは俺がいると遠慮しちまって、ちゃんと弟に愛情注いでやれないからな。それで父さんと相談して、大学は東京の安い下宿借りて、そこから通う事にしたのさ。母さんには子育てに集中してもらいたいし、俺はもう親の近くにいなくたって平気だしな。望月純は空気の読める男なんだぜ、わっはははは」

 純が高笑いをするのと対照的に、綾乃はうつむいて下を向いていた。綾乃は麦わら帽子のつばで顔を隠し、目元を拭うような仕草をした後、顔を上げて純を見つめた。

「ごめんなさい……純の事、少し勘違いしてたみたい」
「え?」
「純は……偉いね」
「わはは、まーな! ちょっとは俺のこと見直した? 惚れてもいいんだぜ?」
「もう……バカ」

 綾乃はぷいっとそっぽを向き、すたすたと足早に歩き出す。慌てて後を追いかけ、麦わら帽子の中を覗き込んだ純が見たのは、どこか寂しげな色の滲んだ綾乃の瞳だった。

「な、なんでそんな顔してるんだよ綾乃先輩。今度なんか美味いもんおごるから、機嫌直してくれよ」
「別に……機嫌が悪い訳じゃないわ」
「じゃあどうしてそんな顔するんだ?」
「あの子と比べたら私なんて、全然勝ち目ない……なにもかも大違いだから」
「え、それってどういう……」

 綾乃はそれ以上答えず、黙ったまま遠ざかっていく。彼女は遠く離れてから一度だけ振り返り、再び自宅の方向へと去っていった。純は綾乃の姿が見えなくなるまで見送ると、上倉駅で切符を買い、江ヶ電に乗り込む。

(うーん、最後のアレはなんだったんだろ)

 電車に揺られながら眺めた宵ヶ浜の空は、やけに青く眩しかった。




 数日後の午後九時頃。純と綾乃、そして光太郎とはるかの四人は名声切通の入り口に集まっていた。綾乃は時間をかけて除霊をしたいと言っていたが、それを待っていたら夏が終わりそうだと思い、まだ早すぎると渋る綾乃を強引に説得し、純が予定を組んだのである。昼間はハイキングコースのように見えた切通への入り口も、夜になると漆黒の闇に包まれ、非常に不気味である。手持ちのライト以外に明かりなど無く、聞こえてくるのは虫やカエルの鳴き声だけ。さらに山道の方から流れてくるひんやりとした空気に、はるかは身震いをして不安げな声を出した。

「ねえ、本当に大丈夫なの?」
「さあな……とにかくサッと行って早く終わらせようぜ。オバケはともかく、足元には気をつけろよ」
「う、うん」

 はるかとは対照的に落ち着いた受け答えをする光太郎だが、不安を感じてはいる様子である。

「皆さんこんばんは……稲川ジューンです。また夏がやってきてしまいましたねー。実はねアタシ、先日こんな体験をしたんですよ……ある日タクシーを拾った時の話なんですけどね、乗り込んだら先客がいたんですよ。で、色々喋ってるうちに目的地に着いて、アタシがタクシー降りようとした時なんですけど……」
「隣にいたはずのの客がいないって言うんだろ。オチ読めるっつーの」

 バカバカしい、と話の続きを先回りする光太郎に、純はググッと顔を近づけ、

「お金払おうと思って運転席見るとね、誰もいやしないんですよ……」
「そっちかよ!? てかどうやってタクシー走ったわけ!?」

 光太郎の全力ツッコミに、それを見ていたはるかと綾乃は顔を逸らし、笑いを堪えるのに必死である。

「不思議ですねー、怖いですねー。以上、稲川ジューンでした」

 顔の下からライトを当てて一人芝居を終えた純を、光太郎は「お前バカだろ」と一蹴する。

「よくまあぺらぺらと出てくるな。ちょっと感心するぞ」
「ふへへ、俺を見直しただろ光太郎」
「どう解釈したらそうなるんだ」
「照れんなよ」
「照れとらんわ!」

 頭を抱える光太郎を他所に、純はライトをマイク代わりに持って宣言する。

「よっし、それじゃチキチキ夏の肝試し大会をスタートしようぜ! 幽霊が出たかどうかは、専門家のあやのんこと綾乃先輩が解説してくれるぜ。お前ら二人はビビる、俺は幽霊を激写するのが仕事だ。とゆーわけで、未知との遭遇に励んでくれよ!」

 夜間でも撮影可能なカメラを手にしながら、純はガハハと笑う。その傍らで、綾乃は肩をすくめて小さなため息をついていた。まず先頭を霊感のある綾乃が、光太郎とはるかがそのすぐ後ろを歩く。純は一番後ろで撮影しながらついて行く事にし、名声切通の肝試しが始まった。夜中の山道は想像以上に暗く、ライトの明かりが照らす部分以外はまったく見えない程である。木々が生い茂り、昼間は木漏れ日の射す緑の天井も、今はただ闇に塗り込められて重くのしかかってくるかのようである。はるかは光太郎の腕にしがみつき、すっかり腰が引けていたが、綾乃はなにも言わず黙々と道を歩いて行く。線の細い見た目からは想像出来ない度胸には、光太郎もすっかり感心している様子だった。それから道のりの半分くらいの場所まで歩いてみたが、今のところ変わった出来事は起きていない。純は所々にある石碑や五重塔などを撮影ていたが、これと言った物は撮影できていないようだった。

(んー、そろそろパンチのあるイベントが欲しいよなー。こう、幽霊がドバーッと出て来て、光太郎が幽霊とタイマン張って戦っている間に、俺ははるかと綾乃先輩を連れて逃げる。んでもって、二人がしがみつく腕におっぱいが当たっちゃったりなんかしちゃったりして……でへへ、たまんねー!)

 などと純が不謹慎なことを考えていると、急に綾乃が立ち止まり、道の脇をじっと見つめていた。

「あれ、どうしたんスか?」

 光太郎とはるかの後ろからひょいと顔を出した純は、綾乃の視線の先に見覚えのある物体があるのに気付いて声を上げた。

「あ、それは」
「この石、最近ここに運ばれたんじゃ……?」
「よ、よく分かるな綾乃先輩。山の奥に倒れて埋もれてたから、ここまで俺が持ってきたんだよ」
「やっぱり……強い念の残滓を感じるわ」
「え?」
「純はここで取り憑かれたのよ。それにこの石の文字……純に取り憑いてる幽霊、もしかすると……」

 綾乃の発言に、純以外の二人も驚いて目を丸くする。

「じゅ、純くん? 幽霊に取り憑かれた……って?」
「お前まさか、なんか罰当たりなことやらかしたんじゃないだろうな」

 光太郎とはるかは後ずさり、えんがちょと言う顔で純を見る。

「バ、バカ言え、俺がそんな事するわけないだろっ!」
「怪しい……」
「違うっつーの!」

 純が必死で弁解している間、綾乃はしゃがみ込んで石を調べていたが、突然木々がざわめき始め、周囲に異様な冷気が漂い始めた。

「げ、この感じ……!?」

 前回の除霊でこの雰囲気に憶えがある純は、たっぷりと嫌な予感を感じて冷や汗を滲ませつつも、チャンスとばかりにカメラのシャッターを切りまくる。その瞬間、ひときわ強い突風が吹き抜けたかと思うと、めきめきと大きな音を立てながら、一本の木が四人めがけて倒れ込んできた。

「危ねえっ!?」
「きゃーっ!」

 光太郎とはるか、そして純はとっさに逃げて直撃を免れたが、石のそばにいた綾乃の姿が見えない。純は慌てて倒木を乗り越えたが、つい今までそこにいたはずの綾乃の姿が見えない。まさか木の下敷きになってしまったのでは、と嫌な想像が脳裏をよぎったが、綾乃の姿はそこになかった。

「一体どこに行っちまったんだ……ん?」

 ふと道の奥に目をやると、白い輪郭がゆらゆらと動いているのが見える。ライトを向けて目を凝らすと、見覚えのある白いワンピースの後ろ姿が、ゆっくり歩きながら遠ざかっていく。

「綾乃先輩? おーい、どこ行くんだよ!」

 ライトを握り締め、純は真っ暗な山道を駆け出した。ところが少し走って、奇妙な事が起きていることに純は気が付いた。二人の距離はそんなに離れていないはずなのに、綾乃との距離が縮まらないのである。いくら追いかけて名前を呼んでも、綾乃は自分に気付く様子もないのである。

「おっかしいな……おーい、綾乃先輩! 待てってば!」

 やがて山道が終わり開けた場所に出ると、綾乃はすぐ目の前にある寺の中へと入って行く。功名寺という、地元でも有名な大きな寺である。綾乃は門をくぐって左側にある、本堂とは別のお堂へと向かって歩いて行く。なぜあんな方へ行くのかと疑問に思いながら純が追いかけると、形を整えた草木が植えられ、絨毯のように柔らかな苔が足元を覆う、見事な日本庭園に出た。綾乃は庭園のさらに奥へと向かい、蓮が浮かぶ池の横に作られた通路を通り、お堂の一番奥にある建物へと入っていった。そこは書院といい、行事などの時に人を集め招き入れる場所であり、こんな時間にはもちろん誰もいるはずがない。

(あれっ?)

 綾乃の後ろ姿を目で追いながら、純は奇妙な出来事を目撃する。それは綾乃が近づいただけで、戸がひとりでに開いたように見えた事だった。開かれたままの戸から純が中を覗き込むと、座敷の中央でじっと立ったままの綾乃がいる。純は胸を撫で下ろしながら彼女に近づいた。

「はあ、やっと追いついた。急にどうしたんスか綾乃先輩。黙って先に行っちまうし、勝手にこんな所に入り込んで平気なんスか?」

 ゆっくりと振り返る綾乃の顔を見た純は、目を見開いて言葉を失った。彼女は虚ろな目をして、ぞっとするような微笑を浮かべていたのである。

「あ、綾乃先輩?」
「ふふ……ふふふ……」
「だ、大丈夫ッスか? どこか具合でも悪くなったんじゃあ……」
「くすくす……」

 綾乃は口の端を持ち上げたままゆらりと動き、すっと手を伸ばして純の頬に触れる。

「……いっ!?」

 純を驚かせたのは、触れた彼女の指先が驚くほど冷たい事だった。言葉にならない悪寒を感じて後ずさるが、綾乃も薄気味の悪い笑みを浮かべて近づいてくる。しかも触れた憶えもなく音すらも聴いていないのに、いつの間にか座敷の戸が閉められていた。

「ちょっ、タンマ綾乃先輩! なんか様子がおかしいッスよこれ!」

 暗闇の中でゆらゆらと動く綾乃の姿は、死装束を纏った幽霊のように思えた。白いワンピースを着ていることが、そのイメージに拍車を掛けている。虚ろな目をしたまま、もう一度自分に触れてこようとする綾乃を避け、純は書院の戸を蹴破って外に飛び出していた。

「こりゃヤバイぞ。光太郎たちを呼んでこねーと!」

 純は夢中で来た道を引き返した。池の脇の通路を駆け抜け、柔らかい苔が敷き詰められた日本庭園へと辿り着いたその時、彼は急に現れた人影に行く手を遮られて足を止め、その姿を見て凍り付く。

「な、なんで……嘘だろ?」
「うふふ……」

 目の前に立つのは、紛れもなく綾乃である。だがここまで全力で走ってきたし、彼女が先回りできるような近道はどこにもない。にもかかわらず、綾乃はいた。一瞬パニックになって動きが止まった純の腕を、綾乃は握りしめる。その途端、純の全身から感覚が失せていき、指一本動かせなくなってしまっていた。

「一体どうな……っ」

 どうにか声は出せるが、石膏で塗り固められたかのように指一本動かせない。必死にあがく純を見て満足げな笑い声を漏らすと、綾乃は純の首に両腕を回し、躊躇いもなくキスをしてきた。

「んんっ!?」
「ん……」

 純は抵抗も出来ずされるがままだったが、綾乃の唇と滑り込んでくる舌の感触だけは、やけにはっきりと分かる。長いキスを終えて離れた唇の間には唾液が糸を引き、綾乃は普段の彼女からは信じられないような、淫らな表情で純を見つめていた。

「あ、綾乃先輩! どうしちまったんスか! なんか色々おかしいッスよ!?」

 純は必死に呼びかけるが、返事の代わりに帰ってきたのは、ズボン越しに純の股間をまさぐる綾乃の手だった。

「うわ、ちょっ……それまずいってば!」
「はあっ……うふ、うふふ……」

 ぴったりと身体を寄せながら、綾乃の手は純の敏感な部分を撫で回し続ける。例え異常時であろうと、美人と二人きりでそんな場所を触られれば、反応してしまうのが男の性。パンパンに膨らんでテントを張ってしまった股間に、綾乃は満足そうである。円を描くように動いていた手の動きを止め、細い指先でズボンのチャックを下ろすと、はち切れんばかりになっている純のモノが飛び出した。

「えっ、いや、ちょっ……マジ?」
「ああ……」

 綾乃はそれを見て愛おしそうなため息をついてその場に跪くと、純のモノの前に自分の顔を近づけた。両手でそれをさすり、ゆっくりとしごいた後、綾乃はぺろりと唇を舐める。

「だああっ、どうなっちまってるんだよもうっ! なんでこんな事に……おふうっ!?」

 まったく状況が飲み込めずに困惑する純を襲ったのは、自らの分身に伝わる生暖かい快感だった。綾乃は恍惚とした表情で純のモノを舐め上げ、悩ましげな声を漏らす。どう考えても彼女が普通じゃないことは理解出来たが、どう踏ん張っても身体の自由は戻らず、されるがままに任せるより無かった。

「んっ、んんっ……ちゅ……んむ……」
「うあ……っく、ううっ」

 唾液にまみれてぬらぬらと光るモノを口いっぱいに頬張り、綾乃は顔を前後に動かす。その姿だけでもいやらしくてたまらないが、口の中では彼女の舌が亀頭に絡みつき、今まで味わったことのない快感を純にもたらす。それがあまりに気持ち良すぎて、純は早くも絶頂を迎えようとしていた。

「やべっ、マジやばいって! こんなのこれ以上我慢できね……うあああっ!」

 純はなすすべ無く、綾乃の口の中で射精してしまった。大量に溢れた精液は綾乃の口腔から溢れ、反射的に離れた彼女の顔にも飛び散った。

「はあっ、ああっ……うふふ、んくっ……」

 綾乃は喉を鳴らして精液を呑み込み、指先で顔に付いた精液をすくい取っては舐めていく。その満足げで色に狂ったような顔は、もう純が知っている綾乃とはまるで別人であった。

「ちくしょう……誰なんだよお前!」

 苦し紛れに言い放った言葉を聞いて、綾乃は立ち上がって純と目を合わせる。

「ああ、淳之介さま……」
「……は? 誰だって?」

 純が聞き返すが、綾乃はそれには答えず、愛おしげに純の胸元を撫で回す。普通ならゾクゾクして気持ち良いという感想が出る所だが、今は文字通り寒気しか感じない。綾乃は純を苔の上に押し倒すと、ワンピースの肩紐を外して脱ぎ捨てる。スリップの下に履いていたパンツだけを脱ぎ、純に跨ってそそり立つモノを秘所にあてがった。

「んんっ……」
「わああ、待て待て! それだけは止めろ!」
「純之助さ……あああっ!」

 綾乃の狭い秘所を、文字通り裂くようにして純のモノが貫いた。そこは充分に蜜で溢れていたが、それでも膣内は痛いほどにきつく、二人が繋がった部分からは鮮血が流れ落ちていく。

「ううっ、くう……あっ、ああああっ!」

 痛みを必死に堪えるような声で、綾乃は悶える。苦悶の表情を浮かべながらも腰を動かし続け、綾乃は契りを交わした喜びに浸っているようだった。

「ちくしょー、一体どうなってんだよこれはっ! くっそー!」

 思うが侭に喜びを味わう綾乃とは裏腹に、純は怒りが収まらなかった。綾乃になにが起きたのかは分からないが、今の綾乃は綾乃ではなく、本人の意志とは無関係に自分と身体を重ねてしまっている。もしこんな形で処女を失ってしまったことを知ったら、彼女はどんなに傷つくだろうか。しかも自分が男に跨り、さらに野外というトリプルコンボである。

(やべえ……文字通り死ねる程の恥ずかし状態じゃねーか。俺が立場逆だったら自殺モンだぜ、とっほっほ)

 その時、ふと途切れた雲の隙間から差し込む月明かりに、綾乃の姿が照らし出された。綾乃の姿は青白く輝き、闇の中でいっそう美しく浮かび上がる。その背後にほんの一瞬だが、ぼんやりと浮かぶ着物姿の女を、純は確かに見た。女は綾乃と同じように動き、悦楽に満ちた表情を浮かべている。

(ゆ、幽霊? まさかあいつが取り憑いて……そういうことかよ!)

 今までの出来事がひとつに繋がった瞬間、煮えくりかえるほど腹が立った純は、人生で一番と思うくらい身体に力を込め始めた。

「ぐぎぎ……ざ、けんな……よ……!」

 動かせなかったはずの指先が、ピクリと動いた。ほんの少しだけ、右手が言う事を聞いてくれる。純は自分の首元に手を伸ばし、首に掛けていた小袋の紐を指先に引っかけてたぐり寄せると、綾乃めがけて投げつけた。

「あ……くううっ……っ!」

 お守りが綾乃の顔に当たると、袋の紐が緩んだ拍子に中身が少し飛び散った。それを浴びた綾乃はくぐもった声を出し、淫らな顔つきが元に戻っていく。

「はーっ、はーっ……うう、っく」
「あ、綾乃先輩? 正気に戻ったのか?」
「あうっ、純……んうっ!」

 綾乃は目に一杯の涙を浮かべながらこくりと頷く。だが彼女は純の上から降りようとはせず、今までと同じように腰を前後に動かし始めた。

「痛……っ、ああっ……いやっ……」
「お、おいっ。なにしてるんだよ。早く止めろってば!」

 綾乃はぎゅっと目を瞑り、ぶんぶんと首を振る。

「願いを……叶えてあげなきゃ……でないとこの幽霊、ずっと成仏出来ない……ううっ」
「成仏ってなんだ? さっき淳之介とか言ってたのと関係あるのか!?」
「身体を貸してるの……もう少し我慢すれば……うあああっ、やだっ……あああっ」

 綾乃も自分の意志とは関係なく、身体が勝手に動いていた。絶え間なく続く苦痛に悶える綾乃の姿を、為す術なくただ見上げているだけの自分が、純は悔しかった。

(くそっ、考えろよ純。幽霊を追っ払う方法を考えろ……確かこいつ、淳之介って言ったよな。それと、誰かを待ってて山道で死んだ女……そうか、そういうことか!)

 思い当たることはそれしかない。幽霊が勘違いしているなら、勘違いのまま満足させてやるしかないと純は思った。自分に跨り、腰を動かし続ける綾乃に向かって、純は出来るだけ感情を込めて叫んだ。

「き、聞いてくれ、俺は淳之介だっ。お前には本当にすまないことをしたと思ってる。あの時どうしても外せない事情があって、お前との約束を守れなかった。だから今、こうして約束を果たしに来たんだ。だからもういいんだっ。俺はお前をずっと愛してるから!」

 自分で感心するほど、歯の浮く台詞がペラペラと飛び出してきたが、純の演技は効果てきめんだった。綾乃は喜びに満ちた嬌声を上げつつ、身体を後ろに仰け反らせた。

「あ……ああ……淳之介さま……嬉し……あああーーーっ!」
「うわ……すげえ締ま……で、出ちまう!」

 びくびくと痙攣しつつ、きゅぅぅぅっと締め付けてくる膣壁の快感に耐えきれず、純は彼女の膣内で射精してしまう。びゅるびゅると繰り返される射精と同時に、綾乃も絶頂に達してしまったようだった。やがて綾乃がぐったりとうなだれ、純の上に力なく覆い被さると、同時に純の身体を押さえつけていたものがふっと消え、自由が戻る。純は身体を起こすと、糸が切れた人形のようになった綾乃を抱きしめた。

「綾乃先輩、しっかりしてくれよ」
「う……」

 身体を優しく揺り動かすと、綾乃は小さな声を漏らしつつ目を開ける。彼女の瞳はすっかり元通りになっており、さっきまでの異様な気配は消え失せていた。

「大丈夫か?」
「大丈夫じゃ……ない」
「マ、マジか!? 気分悪いのか? どこか怪我でも――」
「痛い……」

 ふと下半身に目をやると、互いの繋がっている部分からは、血が混じった白濁液がとろりと溢れている。

「わああ、ごめん! 俺こんなつもりじゃ……ややこしいけど、これには深い事情が」

 慌てて離れようとする純の肩を掴み、綾乃はふるふると首を振る。

「取り憑かれてた間のこと……憶えてるから」
「げ……マジ?」

 綾乃は顔を真っ赤に染め、こくりと頷く。不思議な事に、彼女はあまり嫌そうにはしていなかったが、純は自己嫌悪の気持ちで押し潰されそうだった。

「なんつーか、どう詫びていいのやら……幽霊の仕業とはいえ、こんな取り返しのつかねー事をしちまって」
「純のせいじゃない」
「でもよ、いくらなんでもこれは……こんな事故に遭いましたみたいな形なんて、綾乃先輩が可哀想じゃんか」
「別に……可哀想じゃないわ」
「え?」
「純なら……いい」

 純はしばらくぽかんと綾乃を見つめていたが、やがて恐る恐る訊ね直す。

「いやあの、俺さっきから同じ言葉ばっか言ってるけど……マジ?」
「……うん」

 恥ずかしそうに目線を逸らす綾乃に、純は心臓を思いっきりわし掴みにされたような衝撃を感じていた。

「ありがとう……私のこと心配してくれたんでしょ」
「するに決まってんだろー。もう元に戻らないんじゃねーかってヒヤヒヤしたんだぜ」
「純の気持ち、ちゃんと伝わってきたから……嬉しかった」
「そ、そうかな。ところで幽霊はどうなったんだ?」
「満足して……成仏しちゃったみたい」

 綾乃の答えに、二人の間にしばしの沈黙。

「おいいっ!? さんざん引っかき回しておいて、そんな終わり方でいいのかあっ!?」
「さあ……でも、純の芝居で満足できたみたいだし……」
「文字通り天国にイッちまったってか……まさか綾乃先輩に聞いた昔の日記の話が、こんな風に助けになるなんて不思議なモンだな……すんげえ疲れたけど」

 純ががっくりとため息をついて身体を揺らすと、綾乃が「あうっ」と声を上げる。

「あ、やべえ。すっかり忘れてた」
「ねえ純……続き、する?」
「な、なんですとーーーっ!?」
「このままじゃ……純も不満でしょ?」
「そりゃまあ、本音はそうだけど」
「私も……初めてが取り憑かれて仕方なくなんて嫌だから」

 綾乃は大真面目にそう言い、きゅっと純に抱きついた。

「あ、あのさ。本当に俺なんかでいいのか?」
「うん。純は優しいから……」
「べ、別に優しくなんかねえよ。だって俺は」
「ううん、優しいよ。純は周りの人を笑わせるために、いつだって明るく振る舞ってる。だけど本当は……まだあの子への想いが消えないんでしょ?」

 純の表情に一瞬痛みが走る。彼はそれを誤魔化すように天井を仰ぎ、絞り出すような声を吐き出した。

「お、俺は……」
「純は偉いね……ずっと気持ちを隠して、大切な人のために笑って……私だったらきっと、耐えられないと思うから……」
「な、なに言ってんスか綾乃せんぱ――」

 震える声で誤魔化そうとする純の頬を、一粒の滴が伝い落ちていく。

「あ? なんだよこれ。おっかしいなー、はは」
「占いでも出たけど……あの子と喋ってる純を見て確信したの。純は今でも我慢し続けてるんだって。初めて純を見たとき、悩みなんか無さそうな人だと思ったわ……いつも気楽で、きっといい加減な人なんだろうって。でも……違った」
「……ッ!」

 唇を噛んでうつむく純の頭を抱き、綾乃はそっと語りかけた。

「純も私と同じ。本当はずっと……ずっと寂しかったのね」
「あーもう、まいったぜマジで……綾乃先輩には全部お見通しだったんだな。そうさ……俺はずっと、心のどこかで諦めきれなかった。親友だって言いながら、心の中ではあいつらをずっと羨ましがってたんだ。はは……みっともねえなあ」

 自嘲するように呟く純の頭を撫で、綾乃は優しい口調で囁く。

「いいの。つらいこと苦しいこと、全部吐き出したら……また笑って。私はいつだって笑顔で、優しい純が好きだもの」

 その時確かに、綾乃は笑っていた。長いまつげの眼を細め、口の両端を持ち上げて、一輪の花のように可憐な笑顔だった。純は綾乃を押し倒し、両手の下で自分を見上げる彼女に向かって、人生で一番真面目にこう言った。

「俺、綾乃先輩のこと一生大事にするよ。約束するっ!」
「ちょ、ちょっと大げさじゃあ……嬉しいけど」
「今はバカでアホで頼りになんねーかも知れないけど、いつかみんなに自慢できるような、デカい男になってみせるぜ。だから俺のこと見ててくれよ!」
「うん、頑張って……純なら出来るよ」
「あ、綾乃先輩っ!」

 唇を重ねた瞬間、二人はスイッチが入ったようにお互いを求める。唇が、肌が、舌が、粘膜が――体温と共に感じる快感が、回路を流れる電流のように駆け巡る。二人にとってそれは、男女の交わりを超えた、絆を確かめ合うための契りに思えた。純は残っていた綾乃のスリップを脱がし、乳首がツンと上を向いた胸にむしゃぶりつく。



「あっ、あんっ……純……んんっ」

 綾乃の肌は絹のように滑らかで、乳房も程良い弾力と柔らかさでぷるんと揺れる。やがて純がゆっくりと腰を動かし始めると、綾乃は少し苦しそうに唇を噛み、純の背中に爪を立てた。

「痛いのか?」
「はあ、はあ……なんだか痺れてきて……さっきよりは痛くない……かも」
「辛かったら言ってくれよ。なるべくゆっくりするからさ」
「うん……」

 抱き合ってお互いの体温を肌で感じているだけでも、なかなか気持ちが良いものだが、純はゆっくりと腰を動かし始め、綾乃の膣内を擦り上げる。綾乃の中は少し浅いのか、根本まで挿れると亀頭が奥に当たり、子宮の入り口を押し上げる。それが彼女に痺れるような快感を与え、次第に綾乃の声が大きくなってきた。

「あっ……ああっ、あんっ……はんっ、んんっ……うあっ」

 純が腰を送ると、綾乃も腰を送り出す。それが二人をより深くまで繋げ、頭の芯まで溶けていくような気分で満ち足りていく。

「あっ、うああっ、純、じゅん……っ!」
「ど、どうしたんだ?」
「お願い……あの言葉、もう一度聞かせて……」

 綾乃が求めている言葉を、純はそっと囁く。彼女の前では飾らずにいようと、それだけを思いながら。

「愛してるよ綾乃先輩……」
「嬉し……純……っ、ああっ、あああああっ」

 瞳にうっすらと涙を浮かべ、綾乃も純にしがみつく。

「やべ、もうそろそろ……っ」
「いいよ純……今日は大丈夫だから、中に出して」
「ごめん、ちょっと早く動かすぞ」

 純は腰を打ち付け、綾乃に自分自身を刻みつけるよう激しく掻き回す。女の芯を貫かれ、綾乃も生まれて初めて感じる絶頂へと上り詰めていく。

「あっ、あっ、あっ、あああっ、うあああんっ!」
「あ、綾乃せんぱ……くうっ!」
「ああっ!? ふああ、ああ……ああぁぁぁ……っ」

 一滴残らず綾乃の膣内に放出すると、綾乃の膣壁がそれを受け入れるようにきゅうきゅうと収縮する。二人は折り重なったまま、真っ白に溶けていくような気分を味わっていた。




 綾乃の話によると、純に付きまとっていた幽霊は、綾乃が調べていた昔の日記に出てくる出家僧、つまり淳之介の恋人の霊だったらしい。幽霊相手に演技をした純の想像は、大方当たりだったというわけである。彼女は供養の石碑が建てられていた辺りで亡くなったが、淳之介を慕うあまりに成仏しきれず、いつしか慕情はねじ曲がって色情霊のようになってしまったという。綾乃は以前失敗した除霊の責任を取るため、あえて幽霊に身体を明け渡したのだと純に告白した。

「しっかし無茶するよなー。いくら責任感じたからって、こんな風に初エッチに突入してもいいなんて普通思わないぜ」
「責任……だけじゃない」
「え?」
「これぐらいしなきゃ……きっとあの子に勝てないから……」

 綾乃の言葉はよく理解出来なかったが、なんとなく嬉しいことを言われている事は純も感じていた。綾乃に服を着せ、こっそり寺を抜け出した純は、ポケットの携帯電話を取り出して驚いた。待ち受け画面には、光太郎やはるかからの着信表示が山盛り出ていたからである。慌てて山道へと戻っていくと、木が倒れた場所の近く待っていた光太郎とはるかは二人の姿を見つけて駆け寄ってきた。純は光太郎にひどく怒られ、はるかに至っては「本当に心配したんだからね」と泣き出してしまう始末である。純と綾乃がいくら探しても見あたらず、電話も通じないので、いよいよ引き返して警察に通報しようかという所だったという。純は両手を合わせて必死に平謝りしていたが、やがて後ろにいた綾乃が純の隣に出てくると、光太郎とはるかに向かって首を振った。

「戻ってくるのが遅れたのは、私が幽霊を成仏させてたからよ……純はその手伝いをしてくれただけ。悪いのは私だから……彼を責めないで」
「あ、いや。あんまり心配させるなって言ってただけで。とにかく、二人とも無事で良かった」

 光太郎も綾乃に強く出ることは出来ず、ひとまず機嫌を直して二人の無事を喜ぶ。

「ちなみに、除霊って一体どうやったんだ? ちゃんと成仏したのか?」

 何気なく光太郎が訊ねると、純は視線を泳がせながら笑って誤魔化し、綾乃は顔を真っ赤にして黙り込む。光太郎は意味が分からず首を傾げていたが、横で見ていたはるかはいち早くある事に気付いて空気を察し、光太郎の腕を引っ張る。

「きっと上手く行ったから戻ってきたのよ。ね?」

 はるかがそっと目配せすると、純と綾乃はこくこくと首を縦に振る。

「それより早く戻りましょ。私もう、こんな場所でじっとしてるのやだよう」
「わかったわかった、そんなに騒ぐと転ぶぞ」

 はるかは光太郎の腕にしがみついて催促していたが、ふいに綾乃を見てにこりと笑う。

「藤沢先輩、純くんのことよろしくお願いします。これからもずーっと、上手く行くといいですね」

 はるかの目には、純のシャツの裾をしっかりと握る綾乃の手が映り込んでいた。言葉の意味が分からずに聞き返す光太郎に、はるかは「にぶちん」と呆れ顔でため息をつくのだった。

「んじゃ、俺たちも帰りますか」

 先を行く光太郎とはるかを追って、純と綾乃も歩き出す。ここへ来たときの、暗く不吉な予感しか感じなかった暗闇の景色は、いつの間にか夜空の頂に登った月の光に照らされて、静かに青白く輝いていた。

「それにしてもはるかの奴、妙なこと言ってたなあ。なんであいつが俺のこと頼むんだ?」

 綾乃は純の顔をじっと見つめてから、小さく肩を落としてため息をついた。

「……にぶちん」
「ほえ?」




 後日、純が綾乃の協力を得て完成させた「女幽霊の物語〜冷めなかった百年の恋〜」という記事は、ユニークだがしっかりと考証がなされていると評判になり、彼自身も以前より一回り成長したと褒められるようになった。やがて自他共に認める恋人同士となった純と綾乃は、一緒にあちこちの古い史跡を取材に訪れては、表面だけではなく、隠された真実を見つけるために調査をし、文化財の検証やそこに秘められた物語を紐解く日々を送っていた。

「……えーっと、確かここら辺にあるはずなんだけどなー」

 上倉市の山中にある遺跡に足を踏み入れた純と綾乃は、かつて豪傑と呼ばれた侍の墓所がここにあるという噂を頼りに、あちこちと調べていた。ところがそれらしい物はどこにもなく、すっかりくたびれた純は、手近な岩壁に手を付いてもたれ掛かった。すると突然岩壁が崩れ、その奥には壁をくりぬいた空間と、なかなか立派な石碑が安置されていた。

「痛てて、なんだってんだよ」
「純、これ……探してた侍のお墓よ」
「マジか!? ついに見つけたぜ……って、その証拠は? 文字とか書いてないけど」
「だって……そこにいるから」

 綾乃が指した純の背後には、熊のように毛むくじゃらの大男の霊が立っている。もちろんその姿は純には見えないが。侍の幽霊は純をじっと眺め、必要以上に熱い視線を彼に注いでいる。それを感じたのか、純もぶるっと身震いをして綾乃に訊ねる。

「な、なあ。その幽霊ってまさか、俺に取り憑こうとかしてねーよな?」
「わからない……ちょっと聞いてみる」

 綾乃がぶつぶつと呟くと、侍の幽霊は綾乃に言葉を伝える。

「聞いたわ」
「で、なんだって?」
「ウホッ、いいおと――」
「豪傑どころか豪ケツかよどちくしょぉぉぉぉーーーーーっ!」

 純は尻を両手で隠し、全力でその場から走り出す。慌てふためいている純を見て、綾乃は堪えきれずクスクスと笑う。今の綾乃は、昔のように心を凍らせてはいない。ありのまま心から笑うという事を、もう彼女は知っている。そして誰よりも自分を笑顔にしてくれる純の傍にいることが、彼女にとってなによりの喜びだった。

「てか、笑ってないでなんとかしてくれよっ! 俺の純ケツ……じゃなかった純潔は守り通して見せるからなぁぁぁぁぁぁっ!」

 涙目の絶叫は、どこまでも続く青空へと吸い込まれていくのであった。


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