夏のアルバム

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雛子(後編)


 ミネラルウォーターを買って戻ってくると、雛子ちゃんはいなかった。近くにいた人に聞いてみると、それらしい少女が一人で出口の方に歩いて行ったという。俺は人混みをかき分けて、出口へ向かって走った。

(どこ行っちまったんだ……!)

 マリンミュージアムを出るまで、雛子ちゃんの姿を見ることはなかった。シーユートピアの敷地は遊園地と一緒になっているために広く、おまけに人の数が半端ではない。この中で雛子ちゃんを捜すというのは、砂浜の中の一粒を探し当てろと言われているのに等しい。それでも、俺は諦めるわけにはいかなかった。

「雛子ちゃんっ!」

 俺は走った。とにかく走って走って、雛子ちゃんを捜し続けた。空はにわかに曇り始め、重く黒い雲が青空を覆い隠していく。あたりに湿った生ぬるい風が吹き始め、あと三十分もしないうちに強い通り雨が降り始めるだろう事は容易に想像できた。俺は周りの人に片っ端から訊ねて回り、雛子ちゃんらしい少女が桟橋の方へふらふらと歩いて行ったという話を聞いた。再び走り出す俺の顔に、水滴がぽつぽつと当たる。いよいよ雨が降り出したのだ。

(――いた!)

 桟橋の先に彼女はいた。雨から逃げようとする人たちの中で、雛子ちゃんだけはじっとフェンスに手を置き、海の方を向いてそこから動こうとしない。俺は彼女に近づいて、後ろから声を掛けた。

「雛子ちゃん」
「……」
「どうしたんだよ急に。いなくなって心配したんだぞ」

 雛子ちゃんは返事をしない。隣に並んで顔を見ると、頬を涙が伝い落ちていく。

「いつも……いつもそう。私は誰かに心配かけてばかりで」
「その事は気にするなって。病気なんだし仕方ない事じゃないか」
「仕方がないから……ずっと我慢してきました。みんなが走ったり、賑やかな場所で遊んだりしてるのを、遠くからずっと眺めているだけで。私ずっと、このままなんでしょうか? みんなに迷惑かけて、仕方ないって同情されて、ずっと、ずっと!」
「お、おい、雛子ちゃん」
「わ、わた……私だって、私だってみんなと一緒に! 普通の人みたいに! せっかくデートに誘ってもらっても、これじゃあ……!」
「落ち着けよ。誰もそんな風に思っちゃいないって」
「も、もう嫌なんです! これ以上迷惑かけて嫌われたら、私――!」

 雛子ちゃんは完全に取り乱していた。雨は激しさを増し、俺たちはもうずぶ濡れで。俺は考えて、彼女を落ち着かせるにはこの方法しかないと思った。

「――!?」

 俺はいきなりキスをした。雛子は驚いて固まり、目を見開いてじっと俺を見ている。俺は唇を離し、彼女に訊いた。

「嫌いな相手を二度もデートに誘ったりする奴がいるか?」

 雛子ちゃんは首をふるふると横に振る。

「俺のこと、嫌いか?」

 今度は勢いを付けて、雛子ちゃんはぶんぶんと首を振る。

「お前のつらい気持ち、俺には半分もわかんないかもしれないけどさ。だから力になってやりたいんだよ」
「せ、先輩……」
「焦らなくていいんだ。俺は逃げたりしないから。絶対に」
「は、はい。ありがとうございます。ありがとう……せんぱ……ううっ」

 言葉を詰まらせ、雛子ちゃんは俺の胸に顔をうずめた。そのまましばらく抱き合っていたかったのだが、雨はますます勢いを増して、とても立っていられない。とにかく雨宿りする場所を探そうと、俺たちは土砂降りの雨の中を言葉もなく駆け抜けた。ようやく飛び込んだ建物は、シーユートピアの中にあるホテルだった。

「いや……別に狙ったわけじゃないぞ。本当だぞ」

 なんとも苦しい言い訳をしようとする俺の手を、雛子ちゃんはぎゅっと握ってくる。彼女の手は、小さく震えていた。

「先輩……私、やっぱり不安で」
「そうだよな。雨が止んだらすぐに出て――」
「あの、そうじゃなくて」
「へっ?」
「先輩さっき、私の力になりたいって言ってくれましたよね」
「あ、ああ」
「私、まだ怖くて震えが止まりません。だから……私に勇気をください」

 黙り込む雛子の顔は真っ赤で。それがどういう意味か、確かめるまでもない。

「いいのか、本当に?」
「はい、先輩を信じてます……それに、こんなずぶ濡れのままじゃ風邪引いちゃいますよ」

 俺は雛子ちゃんの手を握り返し、フロントに向かう。部屋の空きがあるか聞いてみると、幸運なことに一室だけ空いていた。手続きを済ませ、キーを預かって俺たちは部屋に入った。こぢんまりした部屋だが、インテリアはなかなかお洒落だし、窓からシーユートピアを一望できる。それはともかく、ずぶ濡れの服が冷えてきて夏といえども寒い。まずは彼女にシャワーを譲り、俺はシャツを脱いでハンガーに引っかけた。しばらく待っていると、バスタオル一枚を巻いた雛子ちゃんが戻ってきた。上半身裸の俺と目が合うと、顔を真っ赤にして目を逸らしてしまう。あまりじっと見るのも可愛そうなので、俺もさっさとシャワーに行くことにした。

「ふー」

 シャワーを浴び終えて部屋に戻ると、雛子ちゃんはベッドの端にちょこんと腰掛けていた。俺が隣に腰掛けると、泣きそうな目で俺を見てきた。

「怖いか?」
「怖くはないです。でも、すごく緊張しちゃって」
「雛子ちゃん」
「んっ……」

 いきなり押し倒したりするのは馬鹿のやることだ。そっとキスをして、離れて見つめ合って、またキスをして。やがて雛子の身体から硬さが抜けていく。俺は彼女のバスタオルに指をかけ、ゆっくりと引っ張った。さほど抵抗もなくタオルは外れ、白く透き通るような肌と、小ぶりで控えめな胸が目に飛び込んできた。

「ああっ」

 雛子ちゃんは目をつぶり、顔を背ける。指先で胸に触れてみると、小さいながらも柔らかく、ふにふにと指が沈む。肌は熱を帯びて、しっとりと手のひらに吸い付いてくる。白磁のような肌という例えがあるが、まさにその通りだと思った。

「せ、先輩」
「ん、痛かったか?」
「いえ、あの……く、くすぐったくて」
(ふーむ、まださわって気持ちいいって状態じゃないのか)
「先輩、えっと」
「あっ、ああ。なんだっけ?」
「あんまりじっと見ないでください」
「どうして?」
「だって私、胸小さくて……恥ずかしい」
「どこも恥ずかしくなんかないぞ。すごく可愛いし、綺麗だ」
「ああっ、先輩」

 ほんのりと紅い乳首に舌を這わせ、吸い付く。尖ってきた乳首を舌で弾いたり舐め回したりしているうちに、少しずつ雛子ちゃんの声色もうわずってくる。さらに手で空いてる胸を撫でたり揉んだりを続けると、雛子ちゃんは感じ始めているようだった。

「雛子ちゃん、気持ちいいかい?」

 俺が訊ねると、コクリと頷く。胸から顔を離し、再びキスをした。今度は舌を絡ませた、情熱的なキスだ。

「んっ、んうっ……ふぅんっ」

 たっぷりとキスを続けてから顔を放すと、雛子ちゃんはとろんとした瞳で俺を見て、言った。

「先輩、してもらってばかりじゃ悪いですから……今度は私がしてあげます」
「してあげますってお前」

 彼女はおずおずと、俺の股間に手を伸ばす。トランクスの布越しにペニスが触れると、少し驚いて指を引っ込める。が、再び指で触れ、そーっと握りしめた。

「気持ちは嬉しいけど、無理すんなって」
「へ、平気です。そんなに子供じゃありません」

 少しむくれながら、雛子ちゃんは俺のペニスをゆっくりとさすり始める。

「先輩の……どんどん大きくなってます。それに熱い」
(う、これは思った以上に)

 ゆっくりとした動きだったが、雛子ちゃんの指先はひんやりとして気持ちいい。彼女も俺の変化に興味があるのか、確かめるように色々と手の動きを変えてきた。やがてはち切れんばかりになった俺のペニスは、盛大なテントを張って盛り上がる。

「な、なんだかつらそうです。外に出してあげた方がいいんでしょうか?」
「あ、ああ、頼む」

 雛子ちゃんが俺のトランクスを脱がしていく。その一部始終に背徳的な気分を感じながら、解放された俺のペニスは天を突いてそびえ立っていた。

「わ、これが男の人の……こんなに大きくて、硬くなるんですね」
「驚いたか?」
「保健の本とかで図は見ましたけど、こんな風になってるなんて知りませんでした」
「こいつ俺に似てやんちゃでな。元気が有り余ってるんだ」
「くすくす、そうですね。先輩の元気そうです」

 雛子ちゃんは笑いながら細い指でペニスを握り、上下に動かす。初めはゆっくりだが、少しずつ手の動きが速くなる。

「先輩、気持ちいいですか?」
「ああ、なかなかのもんだ。けど、もう一押し足りないかな」
「もう一押し……ですか」

 しばらく考えた後、雛子ちゃんは髪をかき上げて肩に掛け、ペニスにそっと顔を近づける。そして小さな舌を出して、ちろちろと舐め始めた。

「ううっ」

 これは本当に気持ちよかった。ペニスに熱い舌が這い回る感触は、想像以上の快感を俺にもたらす。俺の様子を上目遣いで見上げながら、雛子ちゃんは一所懸命に舌を動かす。そして、すっかり唾液まみれになったそれを、ぎこちなく頬張った。

「おいおい、なにもそこまで……っていうか、よく知ってるなこんな事」

 こういう事に縁が薄そうな彼女には、想像しにくい行動ではある。口を一旦離し、雛子ちゃんを俺を見上げる。

「以前、友達にえっちな漫画を見せられたことがあって、それに載ってました。あの、知ってちゃいけない事だったんでしょうか?」
「あ、いや。ちょっと意外だなあって思っただけさ」

 変な情報の仕入れ方でないことにほっとしつつ、心の中で友達グッジョブとサムズアップ。

「男の人って、こうされると気持ちいい……んですよね?」
「ああ、気持ちよかったぞ」
「じゃあ私、もっと頑張りますから」

 雛子ちゃんは再び俺のものを口に含み、ゆっくりと舐め始めた。イッてしまうほどの刺激ではないが、おずおずとした舌使いと温かい口の中は心地よいし、俺のために奉仕しようとしてくれる気持ちが嬉しかった。

「んっ、んっ、ちゅっ、あむ……」

 雛子ちゃんの頭を撫でてやると、切ない息を漏らしながら「気持ちいいですか?」と目で訴えてくる。口と舌に優しく包まれて、俺の息子もはち切れんばかりである。いよいよ俺も、雛子ちゃんが欲しくてたまらなくなってきた。

「ありがとう雛子ちゃん、そろそろ俺も我慢が」
「は、はい」

 彼女を抱きしめて髪を撫でながら、俺は訊いた。

「もう一度聞くけど……本当にいいのかい?」
「はい。私の初めて、もらってください」

 そう頷く雛子ちゃんが健気で愛おしい。唇が触れるだけのキスをした後、彼女をベッドに寝かせようとすると、わずかに抵抗が返ってくる。

「あ、あの、先輩」
「どうしたんだ?」
「え、えっと、その……後ろ向きでお願いしてもいいですか?」
「ほえっ?」

 想像もしていない言葉に、俺は思わず間抜けな返事をしてしまった。雛子ちゃんはうつぶせになり、首だけ動かして俺を見る。

「こ、これじゃやっぱりダメでしょうか」
「いや、ダメじゃあないが……なんでまた」
「だって……ごにょごにょ」

 雛子ちゃんは恥ずかしそうに言葉を濁すだけで、理由は教えてくれない。セックスを嫌がってそう言ってるわけでもなさそうなので、この場は彼女の意見を聞いてやることにした。

「わかった、後ろからでいいんだな」
「す、すみません。お願いします」
「ただ、寝たままじゃやりにくいからな。四つん這いになってお尻上げてくれないか」
「は、はい」

 言われたとおり、雛子ちゃんは四つん這いになって俺の方に尻を向ける。小ぶりだが形の良い、桃みたいな尻だ。

「綺麗なお尻だ」
「ひゃんっ、せ、先輩」

 尻を撫で回すと、雛子ちゃんはくすぐったそうな声を上げる。すべすべしたお尻の感触を味わった後、俺は割れ目の奥に潜む雛子ちゃんの中心に手を伸ばす。そこは熱く濡れていて、あふれ出た液体は指に絡みつき、糸を引く。

「雛子ちゃんのここ、凄く濡れてる」
「やあっ、言わないでください」
「これなら大丈夫だ。そろそろ入れるぞ」

 俺は熱く濡れた雛子ちゃんのそこにペニスをあてがい、ゆっくりと奥に進んでいく。

「う、ああ……くぅっ!」



 入り口は狭く、きつい。歯を食いしばって耐える彼女の様子を見ながら、焦らず奥へと進入を続ける。

「っくうっ!」

 雛子ちゃんがつらそうなので、一旦進むのを止めてやる。

「大丈夫か?」
「だ、大丈夫……です」
「結構つらそうだぞ」
「わ、私、もう途中でダメにしたくないです。だから続けてく、ください」

 望み通り、俺はさらに奥へと進んでいく。やがて、俺のペニスは根本まで雛子ちゃんの中に呑み込まれた。

「よし、全部入ったよ。つらくないか?」
「ゆ、ゆっくりお願い……します」

 雛子ちゃんの膣内を支配していたものを引き抜いていく。俺のペニスには透明な蜜液に混じって、うっすらと赤い血が付いていた。入り口に先っぽが引っ掛かるところまで引き抜くと、再び奥を目指して進んでいく。

「はあっ、はあっ、あ、ああっ」

 シーツをぎゅっと掴んだまま、雛子ちゃんは耐えている。ゆっくりと出し入れを続けていると、少しは馴れたのか、雛子ちゃんの呼吸も幾分楽なものに変わってくる。

「雛子ちゃん、俺たち今、ちゃんとひとつになってる」
「はい、う、嬉しいです……んんっ。あの、先輩」
「ん」
「私は大丈夫ですから……もっと動いていいですよ」
「わかった。でも無理と思ったら止めるからな」
「はい、ありがとうござい……ああんっ」

 膣内を奥まで突き立てると、雛子ちゃんはひときわ高い声を上げて喉を反らす。ギリギリまで抜いて、一気に奥まで突く。抜いて、突く。

「あっ、あっ、ああっ、うあっ」

 突き上げられる度に、白い背中をくねらせて雛子ちゃんは喘ぐ。膣壁も動きに合わせてキュッキュッと締め付けてきて、だんだん俺も気持ちよくてたまらなくなってくる。尻の肉を掴んで固定すると、今度は小刻みに早く腰を打ち付ける。

「あっ、ひあっ、せ、せんぱ……ああんっ、あん、あんっ!」

 腕に力が入らなくなり、雛子ちゃんはベッドに顔を伏せ、尻だけを突き出した状態でされるがままになっている。そんな姿を見ていると、ほんの少し彼女をいぢめてみたくなってきた。

「雛子ちゃん、初めてなのにもう感じてるんだ」
「そ、そんなこと……うああっ、ひあっ」
「最初からこんな犬みたいなポーズがいいって言うし、結構エッチなんだな」
「ち、違います、それは……ああっ」
「じゃあなんで後ろからが良かったんだ?」
「ああっ、やあっ……は、恥ずかしくて」
「なにか恥ずかしいんだ?」
「は、恥ずかしいから言えませんよう」
「正直に言わないと……」

 俺は少し速度を上げ、雛子ちゃんを突き上げる。

「ひっ!? あ! あ! ああああっ!」
「正直に言わないと、こんな風にお仕置きだぞ」
「ダメぇっ! せ、せんぱ……あ、あ、ああぁぁぁぁぁぁぁーッ!」

 びくんびくんと全身を痙攣させた後、雛子ちゃんの全身から力が抜けてしまった。膣壁もビクビクと脈打ち、蜜液が奥からどんどん溢れてくる。

「はーっ、はーっ、はーっ……」
「だ、大丈夫かい雛子ちゃん」
「す、すごく気持ちよくて、ふわーってなって、私……」

 どうやら雛子ちゃんはイッてしまったようだ。白い肌をピンク色に上気させ、全力で走った後のように息を荒げている。俺は一度ペニスを抜き、彼女を仰向けに寝かせる。すると雛子ちゃんは、慌てて胸を両腕で隠す。

「まさか後ろがいいって言ったのは……」
「うう……だって、ずっと見られちゃうじゃないですか。男の人って、胸が大きい方が好きなんですよね? だから」
「ぷっ。馬鹿だなぁ」

 胸が小さいのを気にして最初からバックとは、大胆なのか恥ずかしがり屋なのか。

「ご、ごめんなさい」
「謝らなくていいって。大体、胸の大小で相手を好きになったり嫌いになったりなんかしねーよ。そんな男に俺が見えるか?」
「わ、分かってますけど、でも」
「その理論だとな、男だってこれの大きさで好きだ嫌いだ言われることになるだろ」

 そう言って、俺はまだまだ暴れん坊な息子を指さす。

「顔も声も、目も髪の手触りも、胸も尻も。それから雛子ちゃんの性格も全部ひっくるめて、俺は君が好きなんだ」
「せ、先輩……光太郎先輩……っ」

 雛子ちゃんはいっぱいに涙を浮かべて、俺に抱きついてきた。たっぷりとキスをして、俺たちは再び繋がった。今度は顔も胸もよく見える正常位だ。

「あっ! あっ! せんぱいっ! 好き、好きです、大好き……ああ、ひああっ!」
「ひ、雛子ちゃん、俺も……くぅっ」
「先輩、せんぱ……ぁあああああああぁぁぁ……」

 奥深く繋がったまま、めくるめく快感の中で俺は射精する。雛子ちゃんは俺の全てを受け止め、嬉しそうに微笑んでいた。この時間、この気持ちさえ感じていられれば、他に何もいらない――本気でそう思えた。幸福感に満たされながら窓の外を見ると、いつの間にか雨は止み、空には虹が橋を架けていた。




 俺と出会ったことがきっかけで、彼女の中にも色々な変化が起こったようだ。以前に比べてずいぶん明るくなったし、よく笑うようになった。高校を卒業して俺と同じ大学に入学してきた頃には、病気もすっかり完治していた。そして今、雛子ちゃんは――いや、雛子は動物研究のために以前では信じられないくらい精力的に活動を続けている。

「先輩、こっちですよ」
「見つかったか?」
「はい、間違いなくハイイロガンですよ」

 ハイイロガンというのは鴨みたいな鳥で、日本じゃ珍しい渡り鳥だ。このハイイロガンを見るために、東北地方のとある湖まで足を運んでいた。俺は自分の車に積んであったカメラを持って、シャッターを切る。こうやってまとめた動物の資料をレポートにして提出するのが、俺と雛子の研究課題だ。

「渡り鳥って凄いですよね。何千キロも空を飛んで旅をして、自分の居場所に辿り着くんですから」
「そうだな。あいつらは自分の羽根ひとつで、ずっと昔からそのために羽ばたいてきたんだよな」

 必要なだけの写真を撮り終えると、俺は戯れに雛子をレンズの中に納めてみる。じっと鳥を見つめる横顔は無邪気で、そして可愛かった。カメラに気づいた雛子は、レンズをのぞき込んでにこっと笑う。

「先輩も素敵な羽根を持ってますよ。その羽根が勇気をくれたから、私は今、ここでこうしていられるんですから」
「雛子だってそうさ。お前なら、望んだ場所にどこまでも飛んでいけるよ」
「はい。私、一生懸命頑張ります。でも――」

 雛子は俺の隣に寄り添い、そっと腕を絡ませてくる。

「私が羽根を休める場所は、ずっと先輩の……光太郎さんの隣です」

 雛鳥は可憐な鳥となり、広い空を自由に羽ばたき始めた。別々に歩いてきた俺たちの道は交わり、ひとつになって続いていく。いつか見た分かれ道の夢は、そのことを俺に教えてくれていたのかもしれない。腕に伝わるぬくもりを感じながら、俺と雛子は大空に羽ばたいていく鳥の群れを見上げていた。


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