冬のメモリー

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一宮真理 編



 バイクばかりを構って勉強を怠けていてはいけないと思い、恵介は最寄りの図書館へ向かうことにした。恵介の自宅から自転車で十分ほど西に向かうと、上倉市中央図書館がある。ここで勉強する事も出来るのだが、目の前に小学校があって子供たちが多く落ち着かない事もあり、本を借りたらすぐ帰るつもりだった。恵介は三階建ての二階に足を運び、参考書や問題集を探して本棚の間を歩き回っていた。ところが前をよく見ていなかったことと、足音が響かないカーペットの床だったために、すぐ近くに人がいることに気が付かず、恵介は目の前を歩いていた誰かと、ごつんと頭をぶつけてしまった。

「きゃっ」

 恵介はとっさに踏ん張ってよろめくだけで済んだのだが、ぶつかった相手は声を上げて尻餅をつき、手に持っていた数冊の本をあたりに投げ出してしまっていた。

「いっ……たぁ〜っ」

 痛む頭をさすりつつ相手の顔を見て、恵介は驚いた。床に座り込んでおでこをさすっていたのは、冬休み前に恵介を辞書で殴ったクラスメイト、一宮真理だったのである。白いブラウスに、紺のタイトスカートからすらりと伸びた足に黒タイツを履き、両サイドに紐が通って前で結び目になっているデザインのパンプスという、知的な印象に違わない服装である。上着がブラウスだけなのは暖房の効いた室内だからであろうが、胸元の起伏が少ないのはちょっぴり気の毒でもある。ボーッと立っていたらまた怒られそうな気がして、恵介は慌てて散らばった本を拾い集めた。

「ご、ごめん。大丈夫かい。気が付かな――」

 言いかけて、恵介は視界に飛び込んできたものに言葉を失う。彼女が尻餅をついた拍子に足が開いてしまい、タイツ越しに白い下着がくっきりと見えていたのである。そこで目を逸らすなり気付かないふりをすれば良かったのだが、恵介とて年頃の男子である。ついついその場所をじっと見つめてしまったのがいけなかった。

「……ッ!?」

 目を開けて恵介に気づいた真理は、彼の視線が自分の下半身――というか下着に一点集中しているのを知ると、顔を真っ赤にして股を閉じ、手近にあった分厚い本で、恵介を力いっぱい叩いた。

「ぶはっ!」

 本の角がこめかみに直撃し、恵介はもんどりうってひっくり返る。真理は素早く立ち上がり、恵介を心の底から軽蔑するような眼差しを向けてきた。

「痛ててて……」
「なんでここにいるのよ」
「は、はひっ」

 氷点下よりも冷たい真理の言葉に、恵介は思わず裏返った声で返事をする。

「質問に答えなさいよ。聞こえないの?」
「べ、勉強しようと思って」
「へえ。あなたの勉強は女性の下着を覗くことなの。ふーん」
「こ、これは事故というか、男の悲しい性というか」
「あなたに関わると、いつも不愉快な気分にさせられるわ。できれば今すぐ消滅して欲しいのだけれど」
「いやもう、ほんっとすいませんでした。このとおり」

 恵介が床に頭を付けて謝ると、少しは溜飲が下がったと見えて、真理も「いつまでも座っていなくていいわよ」と言ってくれたが、やはり怒っていることには変わりがないようである。

「とにかく私の勉強の邪魔をしないで。無駄なことしてる暇なんてないんだから」
「わ、悪かったよ」

 真理は恵介が集めた数冊の本を受け取ると、でたらめに積み重ねられていたのを綺麗に揃え直し、それを脇に抱えた。

「それにしても、前からずっと不思議だったんだけどさ」
「なにが?」
「一宮はずーっと勉強一筋だよな。なんでそんなに頑張ってるんだ?」
「なんでって……」

 何気なく訊ねた言葉に、真理は黙り込んでしまう。すぐに答えが返ってくると思っていた恵介は、不思議そうに首を傾げた。

「し、知らないわよ。高校に通ってて勉強するのは当たり前じゃない」
「そうなんだけどさ。うーん、なんていうのかな」
「もういいでしょ、私は忙しいのよ。少しでも反省したのなら、もう私の視界に入ってこないで」
「わ、わかったよ。邪魔して悪かった」

 恵介は本棚に残っていた問題集を適当に手に取ると、真理の機嫌を損ねないようすぐに図書館を出た。本を借りたはいいが、図書館の一件ですっかりやる気を削がれてしまい、恵介は仕方が無く二駅隣の王船まで足を伸ばし、適当に買い物をしたり本屋で立ち読みをしたりして時間を潰した。しかしこれも飽きてしまい、久々に王船駅のすぐ隣にあるゲームセンターで遊んでみることにした。機械いじりで集中力が養われたせいか、恵介はゲームの実力もなかなかのもので、一時期はこの店に入り浸り、連勝記録の更新を目指していた頃もあった。すっかり顔なじみである店長に挨拶をして、恵介は対戦格闘ゲームの台に座ると、コインを入れてゲームを開始した。ほどなく反対側の席に誰かが座って挑戦してきたので、恵介は腕が鳴る気分で受けて立つ。三年生に進級してからは勉強やアルバイトで忙しく、ゲームセンターから遠ざかっていたのだが、筐体のレバーを握っていると昔の感覚が蘇ってくる。三十分ほどの間連勝を続け、ようやく負けた所で恵介は席を近くにいた誰かに譲ってゲームを終えた。百円一枚でこれだけ遊べたのだから、悪くない時間つぶしである。集中力が切れた途端に喉の渇きを感じ、店の入り口近くの自動販売機でお茶を買って喉を潤していると、ガラスの自動ドアの向こうに、店内をのぞき込む真理の姿を見つけた。恵介はつい反射的に近くの柱の影に隠れ、そこから彼女の様子をうかがった。書店の紙袋を小脇に抱えているので、買い物帰りといったところだろうか。

(なにしてるんだろ?)

 真理は店の入り口近くをうろうろしていて、たまにドアの内側に足を踏み入れては、近くにあるプリクラの筐体を眺めたりしている。真面目一本でこういう場所には近づいたりしないイメージがあったが、意外なものである。やがて数人の女の子がプリクラの筐体に集まってくると、真理はそそくさとその場を離れ、興味なさそうな顔を作って去って行ってしまった。

(一宮もああいうのに興味があるのかな。誘ってみたらなんて言うだろ……って、たぶん怒るか。ははは)

 そんな事を考えてしまった自分を少し可笑しく思いながら、恵介もゲームセンターを後にした。




 それから数日は、真理の件もあってなかなか図書館に近づけなかったのだが、かといって勉強をしないわけにもいかない。冬休みの最終日、恵介は覚悟を決めてもう一度図書館を訪れた。図書館の中は相変わらず静かで、余計な物音を立てないように、新しい問題集や参考書を探して、本棚の方へと向かった。

(あちゃー、やっぱりいたか)

 前回と同じ場所に、真理がいた。彼女は小さな足場に上って、棚の一番上にある本を取ろうと手を伸ばしていた。狭い足場の上でつま先立ちをして、不安定だなと思いつつ見ていると、彼女はなにかの弾みでバランスを崩したらしく、体を大きくぐらつかせた。

「危ない!」

 恵介は咄嗟に飛び出して、真理の下に体を滑り込ませた。腕を伸ばして彼女を支えようとしたのだが、勢いのついた人間の体というのは想像以上に重く、真理を抱える形のまま、一緒に後ろへ倒れてしまった。

「いたた……なんなのよもう」

 恵介の上に乗ったまま、真理は体を起こす。自分の下になって恵介が寝転がっているのを見て、最初は露骨に表情をしかめたが、恵介がわずかに呻くばかりで目を開けないことに驚き、彼の上から降りて呼びかけた。

「ちょっと、大丈夫なの? 目を開けなさいよ。ねえってば」

 恵介の頬を平手でぺちぺち叩くと、うーんと声を出して恵介が目を覚ます。真理は一瞬ほっとした表情をしたものの、すぐに眉を吊り上げて恵介に言った。

「どうしてあなたが私の下敷きになってるのよ」
「……さあ?」
「さあって、自分のことでしょ。一体なにを考えてるのよ、もう」
「いや、咄嗟の出来事だったし。っていうか、そんな怖い顔するなって」
「べ、別に怖い顔なんかしてないわよっ。あなたにやましい所があるからそう見えるだけよ」
「まあいいや。とりあえず無事……でででで!?」
「ど、どうしたの?」
「み、右手が」

 手に軽く体重を乗せた途端、手首から先が無くなったような痛みが走り、恵介は苦痛に顔を歪める。彼があまりに痛そうにするので、真理は恵介を事務室に連れて行き、図書館の職員に湿布をもらうと、恵介の手首に貼り付けた。

「応急処置はしておいたから、あとは自分で家まで帰れるでしょ? それじゃ」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ」
「なによ。言いたいことでもあるの?」
「いやあの、なんつーか」
「私は忙しいのよ。じゃあね」

 そう言って、真理は一人で事務室を出て行こうとしたが、部屋のドアを開けた所でくるりと振り返り、

「……念のために、病院で見てもらう事を推奨しておくわ」

 と、小さな声で呟いてから、パタンとドアを閉めた。

「あーあ、行っちゃったよ。ま、これも仕方ないのか。はぁ」

 ため息をついたところで、恵介は自分の行動と扱いを振り返り、無理な願いだったと苦笑する。痛む手首を気にしながら図書館を出た後、恵介は近所の接骨院に立ち寄って診てもらったが、骨に異常はなく、ただの捻挫であった。


 翌日、三学期の始業式が終わって教室に集まると、手首に包帯を巻いた恵介が、困った顔をして自分の席に座っていた。

「よう恵介、包帯なんか巻いてどうしたんだよ。どこかで転んだのかぁ?」

 言いながら純がやってきて、包帯が巻かれた腕を指先でつつこうとする。恵介がジト目で睨むと、純はキシシと笑って「冗談だよ」と両手を挙げる。

「動かすとひどく痛むんだけど、利き手だから掴んだりとか無意識にやっちゃうんだよ」
「そりゃ不便だな。ま、左手が残ってりゃそっちでも出来るだろ。案外新鮮かもよ?」
「……なんか下品に聞こえるな」
「おいおい、それは誤解ってもんだぜ恵介くん」

 そんな会話をしていると、胸の前で腕を組んだまま近づいてくる女子生徒がいた。艶のある綺麗な長い髪を後ろで結んだ、切れ長の瞳の少女――真理だった。彼女は恵介の前で立ち止まり、腕の包帯に目を落とした後、ほとんど表情を動かさずに言った。

「ちょっと話があるの。一緒に来て」

 恵介は純と顔を見合わせたが、言う事を聞かないと彼女の機嫌が悪くなるかもしれない。純を残し、恵介は真理の後に付いて教室を出て行った。あまり生徒がやってこない階段の踊り場までやってくると、足を止めて真理は訊ねた。

「手……痛むの?」
「へ?」
「だから、痛むのかって聞いてるでしょ」
「あ、ああ。痛いけど」
「どのくらい?」
「えっと、しばらくは鉛筆も持てそうにないかな」
「ちょっ……それって大変じゃないの」
「んー、左手が使えるから」
「あなた左利きなの?」
「暗号みたいな文字が書ける程度には」
「それじゃ勉強とかどうするのよ」
「なんとかなるんじゃないか? ノート取れないのがつらいけどね」

 平然と答える恵介に戸惑う真理だったが、もう一度恵介の包帯に目をやって、仕方がないと言う風に小さくため息をつく。

「いいわ。怪我が治るまで私が手伝うから」
「え?」
「受験勉強に決まってるじゃない。ノートは私が二人分作っておくわ」
「や、別にそんな大げさなもんじゃ」
「もうすぐ入試なのに、なにを言ってるの!」

 声を張り上げた真理の剣幕に、恵介は後ずさりしてコクコクと頷くしかなかった。

「一日の遅れが命取りになるのに、脳天気ねまったく……いつも居眠りばかりしてるからよ」
「す、すいません」
「あなた進路は?」
「王浜大の工学部。俺の成績だとギリギリだけどね」
「そう。じゃあ入試の範囲も今度調べておくわ」

 話が終わると、真理は何事もなかったかのように教室へと戻っていく。教室での彼女は普段と変わらず、恵介と目が合っても知らん振りをしている。胸の奥に不安を感じつつ、恵介と真理の受験勉強がスタートしたのだった。

 放課後になると、恵介と真理は学校の図書室に足を運んだ。窓際の席に向かい合って座ると、真新しいノートを取り出して机の上に広げた。ノートには、一日分の授業の内容が丁寧に、見やすい文字で書かれている。真理の説明も的確で分かりやすく、鉛筆を握れなくても勉強の中身が頭の中にすらすらと入ってくる感じであった。

「――それでこの公式が当てはまるの」
「ふむふむ、なるほど。それで答えがこうなる、っと。次の問題もこれの応用でいいんだな」

 一度理解すれば、難しい計算問題をすらすらと解いていく恵介を、真理は不思議そうに眺めていた。

「ど、どうしたんだ? じっと人の顔見てさ」
「あなたって思ってたよりも頭の回転が速いのね」
「勉強は家でやってるんだ。教室はどうも集中できないし眠くてさ」
「不真面目でいやらしくて最低な人だと思ってたけど、意外だわ。世の中には不可解なこともあるということかしら」
「うへぇ、容赦ないなあ」
「当たり前でしょ。人が真面目に勉強してるのに、横でぐうぐう寝てる人がいればみんなそう思うわ。おまけにセクハラもするし」
「とほほ。面目ないね、どうも」
「勉強する気があるなら、学校でもちゃんとやればいいのよ。そうすればもっと成績だって伸ばせたのに」
「あー、それじゃ昼も夜も勉強で息が詰まるだろ。俺は学校じゃ気楽にやる主義なんだ。せっかくの学園生活は楽しまなきゃ」
「ナンセンスね。目先の娯楽に釣られて時間を無駄にするなんて、バカのすることだわ」
「ははは、仰るとおりで。はぁ」
「なによ、不満そうな顔ね」
「不満じゃないけどさ、楽しみまで忘れて必死になって、一宮は疲れたりしないのか?」
「別に……疲れてなんかないわ」
「ふーん。それだけ真剣になれるんだから、大学進んでよっぽど叶えたい目標とかあるんだろうな」
「目標……?」
「違うのか?」

 真理はうつむいて考え込み、口をつぐんでしまう。会話も途切れ、なんとなく空気も重くなってしまった。

「あ……悪い。なんか余計なこと言っちまって。せっかく勉強見てくれてるのにさ」
「べ、別に気にしてないわよ。さあ、続きをやりましょ」

 一日分の復習を終えてみると、真っ赤に染まった太陽も水平線に沈みかけ、薄暗くなり始めていた。二人は閉門間際の上倉学園を出ると、生徒の姿がまばらになった江ヶ電に乗り込む。住宅地の狭い隙間を縫うように進む電車の中で、真理はぽつりと訊ねた。

「ねえ、ずっと考えてたんだけど……ひとつ質問していいかしら」
「あ、ああ」
「あなたはなにか目標があって勉強してるの?」
「うーん、どうなんだろ。はっきり目標って言われるとなあ。大学に進学できるようにはしようと思ってるけど」
「そう……」
「あ、でも。将来やってみたいって事はあるかな。まだ漠然とした、単なる夢だけどさ」
「夢? 参考までに聞いてもいいかしら」
「構わないけど、言葉で説明するより見た方が早いなあ。確か一宮も上倉駅で降りるんだよな。ちょっと寄り道しても平気か?」
「え、ええ」
「駅の近くに俺ん家があるから、そこで話すよ」

 江ヶ電に揺られて上倉駅に着き、そこから十分も南に歩くと、恵介の自宅のオートバイ店がある。ガレージの中では、油汚れが染み込んだツナギを着た恵介の父が、オートバイの後輪タイヤを外し、チェーンやスプロケット(歯車)の交換作業をしていた。短く刈り込んだ髪と、細目だが力強い光のある目元、一文字にまっすく結んだ口といった顔つきは、職人のような風情がある。父が黙々と作業する姿を横目に見ながら奥に進み、修理中の古びたオートバイの前に真理を連れて来ると、恵介はハンドルを撫でながら言った。

「どうだい、ボロボロだったのを俺がここまで直したんだぜ」
「これって……というか、あなたの家ってオートバイ店だったのね」
「まあね。昔からここで機械いじりをしてたんだ。だからバイクや機械については、そこらの連中よりは詳しいつもりさ」
「へえ、意外な特技があるのね。これがあなたの夢なの?」
「いや、これはただの古いバイクだよ。俺はいつか、自分の手で自分だけのバイクを作ってみたいんだ。こいつを完成させれば、自信が持てるような気がするんだ」

 誇らしげにオートバイを触る恵介を、真理は黙ったままじっと見つめていた。その時「ちょっと来てくれ」と恵介の父が呼ぶので行ってみると、タイヤの取り付けを手伝えと言われた。恵介は両手に軍手を着け、車体側からタイヤを支える。恵介の父は外したタイヤを器用に取り付けると、新品のチェーンを手際よくスプロケットに組み付けていた。

「オッケー、チェーンの張りも問題ないよ父さん」

 指先でチェーンを押しながら、恵介は言う。押されて一センチほど沈み込むチェーンを見て、真理は不思議そうに首を傾げる。

「ねえ、それってまだ緩いんじゃないの?」

 真理の質問に顔を上げたのは、恵介の父だった。自分でもチェーンの張りを確かめながら、恵介の父は言う。

「これでいいんだよ。チェーンはエンジンからの強い力や振動を受ける部分だ。こうやって遊びを作ってやらないと、ストレスを逃がせなくてすぐに切れちまう。ある意味では、機械も人間と同じだな」
「そ、そうだったんですね。ちっとも知りませんでした」

 それからしばらくの間、真理は興味深そうにオートバイの整備を眺めていた。手伝いを終えた恵介を見る彼女の眼差しは、いつもより柔らかく優しいものだった。

「なんだか素敵ね、こういうの」
「素敵って?」
「上手く言葉に出来ないんだけど、楽しそうでいいなって。私は今まで必死に勉強してきて、なにかを楽しむ余裕なんて無いと思ってたから」
「一宮は凄いと思うよ。けれど疲れたら、ちょっと息抜きするのも大事じゃないかな」
「そうね……ありがとう」
「え?」
「って、なんなのそれ」
「いや、一宮の口からお礼が聞けるとは思ってなくて」
「私をなんだと思ってるのよもうっ。お、お礼くらい言えるわ」
「ははは、悪い悪い」

 頬を赤くして拗ねる真理だったが、そんな彼女の仕草や表情がとても可愛くて、恵介は彼女に対する気持ちが今までと違って来たのを確かに感じていた。外を見るとすっかり暗くなってしまっていたので、恵介は自分が所有している別のオートバイに真理を乗せ、彼女の家の近くまで送って行った。真理が自宅に戻って行くのを見届けながら、

(優しいところもあるんだよな一宮。本当はいい子なのかも知れないな)

 と、真理に対する気持ちを改めつつ、恵介はオートバイの向きを変えて走り去って行った。




 上倉中央図書館から北へ徒歩で十分、そこから西へ進んで小さなトンネルをくぐり、最初の交差点を右折して小さな山の坂道を登った場所に、一宮家はあった。周囲の土地を見下ろすように建つ、白い洋風の一軒家は、他の家と比べても一目で分かるほど豪華である。家が一軒丸ごと入ってもまだ余るほど広い庭には、隙間なく敷き詰められた芝生と、クスノキや白樺、キンモクセイといった様々な樹木が植えられ、大地にしっかりと根を下ろした美しい姿を保っている。家の中も外観に違わぬ綺麗な内装で、デンマーク制の小洒落た木製家具で統一されていた。ダイニングでは、真理と両親の三人がテーブルを囲み、白い皿に盛りつけられたサラダやスープ、鶏肉のソテーといった夕食を口にしながら会話をしていた。

「今日は帰りが遅かったけど、勉強はちゃんとやってるの真理?」

 真理によく似た顔の母親が、動かしていたフォークを止めて訊ねる。髪を後ろに結い上げ、上流層の夫人らしい物腰の女性であるが、娘とよく似た切れ長の目つきは、どこか気難しそうな雰囲気も漂わせていた。

「学校で復習してたの。遅くなってごめんなさい」
「センター試験は無事にクリアできたけど、だからといって油断してはダメよ」
「うん、わかってる」
「ぐれぐれも言うけど、チャンスは今しかないんだからね。パパやママ、イギリスに留学してるお兄ちゃんに恥をかかせるような結果を出してはダメよ」
「わかってるってば」
「さ、料理が冷めないうちに食べなさい」

 母に促されて、真理は黙々と料理を口に運んでいたが、ふと手を止めて呟いた。

「ねえママ。私って、なんのために勉強してるのかな」
「どうしたの? 急に変なことを言い出して」
「私、みんなと同じように、いい大学に進学しなきゃってずっと頑張ってきたけど、進学した後はどうするのかしら」
「なにかと思えば……いいこと真理。そんな事は入試に受かってから考えればいいの。時間はいくらでもあるでしょ」
「で、でも。なんだか気になって」
「余計なことは考えないで、今は目の前の試験に集中しなさい。いいわね?」
「……」
「真理、返事をしなさい」
「はい……ごめんなさい」

 それから真理は一言も言葉を喋らず、食事を終えるとすぐに席を立って自室へと戻っていく。そんな娘の姿を、真理の母はじっと見つめていた。真理は自室に戻り、白い木製のベッドに倒れ込む。今日干したばかりで温かく、心地よい手触りのシーツに顔をうずめ、真理はじっと動かない。そうしながら思い出すのは、恵介の顔だった。

(もう……どうして彼のことなんか)

 ここ最近は、一人でいると恵介のことばかりを思い出してしまう。異性の友達だから? 自分の知らない世界を知っているから? それだけでは説明の付かない感情が、確かにあった。第一印象は最悪。けれど彼は、気が強くて態度が気に入らないと自分を敬遠してきた男子とはなにかが違った。行動も、そして語る言葉も。

(もうすぐ受験なのよ。こんな事で気が散ってちゃいけないのに)

 考えれば考えるほど、心の中で糸がもつれていくような気がする。自分をこんな気持ちにさせる恵介をちょっぴり恨めしく思いながら、結局頭の中から追い出すことは出来なかった。真理は目を伏せてシーツを指先でなぞり、小さくため息をついた。




 恵介の捻挫は一週間ほどで治ったものの、勉強を中途半端なまま終わらせるのは気に入らないと真理が言い出し、共同での受験勉強はその後も継続することになった。二月も半ばに差し掛かり、いよいよ受験日が近づいてきたが、学力に自信が付いてきた恵介とは対照的に、真理は急に考え込んだり、遠くを見てぼんやりすることが多くなった。二月十三日の土曜日、恵介と真理は朝から図書館で待ち合わせて勉強をしていたが、真理は目を離すと窓の外を眺めていたり、質問をしても聞いていなかったりで様子がおかしい。

「なあ一宮、ここの問題だけど」
「はぁ……」
「もしもーし、聞こえますかー」
「……ふぅ」


 真理はうわの空で、ボーッと考え事をしている。しばらく彼女の様子を見た後、恵介は問題集とノートを閉じ、席を立って真理の手を引いた。

「えっ、な、なに?」
「遊びに行こう」
「いきなりなにを言い出すのよ。そんな場合じゃ……」
「全然集中できてないだろ今日は。こういう時は気分を変えた方が頭が冴えると思うんだ」

 返事は聞かず、恵介は強引に彼女を図書館の外に連れ出した。躊躇いはしていたものの、真理も本気で嫌がる様子はなく、恵介の後に付いて来た。東に歩いて上倉駅まで辿り着くと、王船行きの切符を買って電車に乗った。王船駅の周りにはいくつかゲームセンターがあり、駅に隣接したゲームセンターに恵介は足を運んだ。以前、恵介が真理を見た例のゲームセンターである。

「もう、こんな事してる場合じゃないのに」
「いいからいいから。一宮はなにか遊びたいゲームはあるのかい?」
「私、こういう場所で遊んだ事がないの。どれが楽しいのか教えて」
「そうだなあ、それじゃあ最初はストレス解消になりそうなのを」

 恵介が最初に選んだのは、大量に出てくるゾンビを撃ち倒す大画面筐体のガンシューティングであった。筐体の前に並んで立ち、コインを入れて専用の銃を手にすると、早速ゲームがスタートした。

「ねえ、これってどうすればいいの?」
「ゾンビが出たら撃つだけさ。ほら、左から来てる」
「えっ、きゃあっ!」

 真理が銃口を画面に向けて引き金を引くと、額を打ち抜かれたゾンビは呻き声を出してその場に崩れ落ちる。

「お、いきなりヘッドショットとはやるなあ。その調子でどんどん撃ちまくれー」
「そ、そんなこと言われても……あわわ」

 おぼつかない手つきでトリガーを引く真理を横目で見ながら、恵介も正確な狙いで次々に現れるゾンビを撃つ。ゲームオーバーになるまで遊んだ後は、UFOキャッチャーでぬいぐるみを取ったり、他のゲームで遊んでみたりした。特にクイズゲームやパズルゲームは、頭の回転が速い真理の得意分野だったらしく、初挑戦にもかかわらずハイスコアを叩き出し、恵介を驚かせていた。最後にそれとなく真理を誘い、プリクラで一緒に写真を撮ってみた。真理は少し緊張した表情だったが、出来上がったプリクラを渡すと、嬉しそうにそれを眺めていた。

「よかったな一宮。プリクラ撮ってみたかったんだろ?」
「な、なんでそう思うのよ」
「こないだそこの入り口からじっと見てただろ」
「あ、あれは……ていうか見てたの?」
「見てました。それはもうバッチリと」

 真理は顔を真っ赤にして目を逸らすが、やがて諦念混じりのため息をついてから言った。

「そ、そうよ。みんな友達と遊びに行ったら撮ってるって言うし……どんな風かなって」
「ふむふむ、なるほどね。でも今日撮れたし良かったじゃないか。まあ一緒に映ってる相手が俺じゃあまり嬉しくないかもだけど」
「べ、別にそんな事」

 言いかけて、真理は口をつぐむ。とはいえ、機嫌を損ねたわけではなく、真理の表情は明るいものである。恵介は微笑んでから、両手を挙げて伸びをした。

「ん〜っ、しかし久しぶりにめいっぱい遊んだなあ」
「そうね。ゲームセンターなんて不良のたまり場だと思ってたけど、案外楽しいのね。ちょっとスッキリしたわ」
「おいおい、いつの時代の話だよそりゃあ」
「だってそう聞いたんだもの」

 少々感覚がずれている部分はあるが、こうしてみると真理も可愛い女の子だなと恵介は思った。長いまつげと切れ長の瞳が特徴の、均整の取れた大人びた顔つきと普段の態度から、付き合いにくそうな雰囲気があったのだが、実際には面倒見が良く,他人を気にかける優しさも持ち合わせていた。

(足も長くて美人だし、付き合ってみれば結構楽しいんだよな。うーん、不思議な気分だ)

 携帯電話の時計を見ると、もうすぐ十二時を回ろうとしていた。お腹もすいてきたので、ゲームセンターを出た目の前にあるファーストフード店で、恵介はチーズバーガーのポテトセットとコーラを、真理はフィッシュバーガーのセットとストロベリーシェイクを注文し、窓際のテーブルで向き合いながらそれを食べていた。

「私ファーストフードを食べるのも初めてなんだけど、あまり美味しくないわね」
「はは、こういうのは手軽さが売りだから。一宮の外食って、ちゃんとしたレストランのコース料理とか食べてそうなイメージだもんな」
「うん、一人じゃまた食べたいとは思わないわね。でも、誰かと一緒に遊んでる時なら楽しいかも」
「そ、そっか。そりゃあ良かった」

 と、恵介は胸をなで下ろす。恵介はポテトを、真理はシェイクのストローに口を付けながら喋っていると、目にきついグリーンのフード付きジャケットを着た、ドレッドヘアーで目つきの悪い男が近づいてきて、灰色でだぶだぶのズボンに手を突っ込んだままジロジロと見てきた。年齢は恵介たちとそう変わらない若者のようだが、鼻にピアスをつけ、鼻の下と顎の先にだけヒゲを生やしていて、お世辞にもお利口とは言えない顔つきである。香水を大量に使っているようで、体中から漂う匂いが濃すぎて、近くにいるだけで気分が悪くなってくる。彼の後ろにも、同じような格好をした仲間が二人ほど立っていた。ドレッドヘアーの若い男は首を斜めに傾け、

「なあお前ら。ここは俺たちの定位置なんだけどよー。邪魔だからどっか行けよ」

 と、いきなり礼儀の欠片もない言葉を吐き出した。面倒な相手に声を掛けられてしまったと恵介は思ったが、真理がこれに黙ってはいなかった。

「常識を身につけてから口を開いて欲しいわね。私は脳みそが足りてない人に邪魔呼ばわりされる覚えはないのだけれど」
「あぁ? ケンカ売ってんのかこのアマ」

 怖い顔をして睨んでくる男に対し、真理は毅然とした態度を崩さない。それが気に障ったらしく、ドレッドヘアーの男は真理の腕を掴んで強引に引っ張った。

「相南ボーダーズのヘッド黒母様をナメんなよコラ」
「は、放しなさいよっ!」
「二度と偉そうな口を叩けないようにしてやるぜ。おら、こっち来い」
「い、痛……嫌ぁっ!」

 恵介は止めに入ろうとしたが、後ろにいた二人が遮って真理を助けられない。黒母というドレッドの男は力いっぱい真理の腕を掴んでおり、彼女は苦痛に表情を歪めている。恵介は全身に力を込めて邪魔をする二人を押しのけ、真理を助けようと腕を伸ばす。

「おいやめろ! なんてことするんだ!」
「うっせーな、引っ込んでろ」

 恵介は黒母に腹を蹴られ、椅子に押し戻されてしまう。それでもすぐに立ち上がろうとしたのだが、残りの二人に身体を押さえられてしまった。

「大人しくそこで見てろ。カスのくせに格好つけんじゃねーよ」
「ちょっと、誰がカスなのよ」
「あ?」

 聞き覚えのある冷たい声で言いながら、真理は黒母を睨み付ける。彼女の切れ長の瞳で睨まれると迫力はかなりのもので、黒母も一瞬たじろいでいるのが恵介にも見えた。

「彼はあなたなんかよりずっと優秀よ。今の発言を取り消して」
「なに言ってんだテメーは。こんな冴えない小僧はカスで充分だろうが」
「よく知りもしないでカス呼ばわりするなんて絶対に許さない。謝りなさいよ!」
「さっきからうるせーんだよコラァ!」

 一歩も引かない芯の強さには感心するが、今は真理の性格が火に油を注いでしまっている。相手の数も多いため、店員を呼ぼうと恵介が店の入り口の方を見ると、店員よりもさらに心強い人物が入ってくるのが見えた。袖が白い黒のスタジャンを着た光太郎と、隣には紺色のピーコートとニット帽を被った純もいる。真理や黒母の声を聞いて、二人はすぐに恵介に気付いてくれた。そしてすたすたと黒母の後ろにやってくると、光太郎は彼の尻を思いっきり蹴り上げた。

「ぐわっ!?」
「女相手になにしてんだこの野郎」

 黒母は尻を押さえてつんのめり、床に倒れ込む。恵介を邪魔していた二人も、光太郎や純の顔を見て青ざめ、恵介から離れて後ずさっていく。恵介は真理に駆け寄って身体を支えてやり、純と光太郎の後ろに避難させた。

「な、なにすんだテメ……!」

 尻を押さえて立ち上がった黒母は、光太郎の顔を見て言葉を詰まらせた。三年生になってからは大人しくしているが、光太郎はケンカの強さで街の不良たちに名を知られた存在なのである。

「質問を質問で返すなバカ。この二人は俺のクラスメイトなんだけどよ、なにかお前らに迷惑でもかけたのか?」
「こ、ここは俺たちの定位置だって言ってただけだよ」
「小学生かよお前は。他に席がいくらでも空いてるだろーが。ここじゃあ他人の邪魔になるし、ちょっと外で話し合いしようか」
「ひぃっ!? あがががが!?」

 光太郎は慣れた手つきで黒母の腕をひねり上げると、そのまま店の外に連れ出していった。一緒にいた残りの二人は、すでに逃げ出して姿が見えなくなっていた。恵介が胸をなで下ろしていると、純が恵介の肩を叩いてキシシと笑う。

「ツイてたなあ恵介。俺たちが早めに来て」
「ああ、助かったよ。言いがかり付けられて困ってたんだ」
「んなことより意外だったぜ。お前と一宮がデートとはなー」

 純の言葉に顔を赤くしたのは真理である。

「ち、違うわよ。別にデートなんかじゃ」
「いいっていいって、みんなには内緒にしといてやるから仲良くやれよ。んじゃ、俺は話し合いの様子でも見てくるわ。ひっひっひ」

 笑いながら、純は光太郎の後を追って店を出て行く。真理は純の後ろ姿を見ながら、ぽつりと言った。

「坂井くんって頼りになるのね。望月くんは笑い方がちょっと下品だけど……」

 真理の腕は、黒母に強く掴まれたせいで赤い痕が残り、爪が食い込んで血が滲んでいる部分さえあった。恵介はポケットからハンカチを出して真理の腕に巻いてやったが、真理の身体が震えて止まらない事に気が付き、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。

「ごめん一宮。俺のせいでこんなひどい目に遭わせちまって」
「どうして謝るの? あなたが悪いわけじゃないでしょ」
「だって、ゲーセンなんかに誘ったりしなきゃこんな事にはならなかったのに」
「平気よ、気にしてないわ」
「こんな怪我までさせて……悪い事したと思ってるよ」
「もういいってば。あんまり自分を責めないで。私、今まで友達とこうやって遊ぶ事はほとんどなかったから、今日は一緒に遊べて良かったと思ってるのよ。なのにあなたがそんな顔してたら、せっかくの楽しい思い出が台無しになっちゃうじゃない。ちょっぴり怖かったけど、いい気分転換になったわ」
「ありがとう一宮。俺、もっと頑張るからさ、これからも勉強頑張ろうな」
「ええ、そうね。頑張りましょ」

 恵介が差し出した手を、真理は両手でそっと握り返す。その白い手は少し震えていたが、今の笑顔と同じように、柔らかくて温かいものだった。




 二月十四日、バレンタインデー。女性が意中の男性にチョコレートを渡すイベントの日である。しかし、その日恵介が最初に異性からもらったものは、甘いチョコレートどころか耳を覆いたくなるような辛口の言葉だった。真理との勉強を再開するため、朝から図書館へ向かおうと準備していた恵介は、家の目の前に現れた来客に呼び止められた。見覚えのある切れ長の目に、いかにもセレブ夫人といった服装と雰囲気の中年女性で、つり上がった目をさらにつり上げて、彼女は恵介に詰め寄った。女性の後ろには真理の姿があり、そこで目の前の人物が真理の母親であると恵介は理解した。

「娘から話は聞きました。あなたは真理と一緒に受験勉強をしていたそうね」
「は、はい」
「それは真理が言い出した事のようだから問いません。だけど昨日、あなたはいつも勉強している図書館から真理を連れ出したわね。どこに出かけたのか言ってごらんなさい」
「昨日は気分転換にゲーセンに行きましたけど……」
「その後は」
「一緒にハンバーガー食べました」
「それだけじゃないでしょう。ちゃんと全部言いなさい」
「えーっと、それだけですけど」
「じゃあ、どうして娘が腕に怪我をして帰ってくるのかしら」
「そ、それは」
「あなたはなにを考えてるのッ!」

 鼓膜が破れるかと思うほどの声で、真理の母が叫ぶ。思わず耳を塞ぐ恵介に顔を近づけて、真理の母はヒステリックに続ける。

「人の娘を勝手に連れ出して、しかも怪我をさせるなんて! もしもの事があったらどう責任を取るつもりなの!?」
「す、すいません」
「よりによって、娘の受験が迫って一日も無駄に出来ないときに……非常識にも程があるわ。あなたは自分がしたことの重大さが分かっているの!?」

 一方的にまくし立てられ、恵介はただ謝るしかなかった。後ろで見ていた真理はいたたまれなくなって、母を止めようとしたのだが、黙っていなさいと一蹴されて、まったく話を聞いてもらえないという有様であった。

「まったく……どんな相手かと思えば、思った通りだわ。こんな不良の乗り物を弄くり回しているような家の子だったなんて。親の教育が悪いからこんなことをするのよ」

 原因が自分だからと我慢していた恵介だったが、今の言葉にはカチンと来た。だが彼よりも先に声を上げたのは、真理の方だった。

「いい加減にしてよママ!」
「な、なによ急に大きな声を出して。みっともないからやめなさい」
「やめるのはそっちでしょ。どうしてそんなひどいこと言うのよっ」
「真理の為を思ってに決まってるじゃない。あなたは怪我をさせられたのよ」
「そんなの頼んだ覚えはないわ! なにも知らないくせに、ママがこの人たちを悪く言う権利なんてないじゃない!」
「親に向かってなんてことを言うのっ!」

 彼女たちは顔だけでなく性格も似ているようで、互いに一歩も引かず言い争っている。止めようにも二人の剣幕は抑え難く、近づけずに困っていると、騒ぎを聞いて恵介の父がやってきた。恵介は父に事情を説明すると、恵介の父は躊躇わず二人の間に割って入る。

「二人とも落ち着いて。息子のせいで色々と騒がせてしまったことはお詫びします」

 恵介の父が頭を下げると、真理と真理の母も言い合いを止めた。恵介の父は真理を見た後、視線を真理の母に移してもう一度頭を下げた。

「お母さんの言い分はもっともです。このバカ息子を殴って気が済むのでしたらいくらでもそうしましょう。しかし、これ以上自分のお嬢さんを責めないでやってください。お嬢さんはうちの息子が怪我をしたことに責任を感じて、自分も大変なのに勉強の面倒を見てくれた。素晴らしい心の持ち主じゃあないですか。ですからどうか、ここらで許してあげてください。この通りです」

 恵介の父は頭を下げ続け、ずっと顔を上げなかった。真理の母もこれ以上は文句を言いづらくなったようで、深呼吸して気持ちを落ち着けてから言った。

「わかりましたから、もう頭を上げてください。私も言い過ぎた部分があったことは謝ります。ですが、また同じ事をされては困ります。その点、どうされるおつもりですか?」
「息子には受験が終わるまで、お嬢さんと学校以外の場所で会うのは禁止させましょう」

 恵介の父が、眼を伏せながらそう言った。

「男ならけじめを付けろ。分かるな恵介」

 父の言葉は正しく、そして重かった。恵介は頷き、真理の母に向かって頭を下げた。




 休日が開けて学校が始まったが、恵介は真理が落ち込んでやしないかと心配で仕方がなかった。授業中や休み時間に彼女を目で追ってみたが、特に変わった様子はなく、クラスメイトへの立ち振る舞いも、普段となにも変わってはいなかった。

(大丈夫……なのかな)

 確かめたい気持ちを堪えながら、恵介は放課後になるのを待った。午後の授業終わりのチャイムが鳴ると、クラスメイト達は教室を出て帰宅していった。恵介もカバンを持って席を立つと、まだ教室に残っていた真理が近づいてきた。

「ちょっと話があるの。一緒に図書室まで来てくれる?」

 恵介は頷き、彼女と一緒に図書室へと向かった。中に入ると、真理はポケットから鍵を出し、入り口の鍵を掛けてしまった。

「おいおい、そんな事していいのか?」
「図書委員の子にお願いして借りたの。話は通してあるわ」
「恐れ入りました」
「今日だけは誰にも邪魔されたくないから……」

 いつもと同じ窓際の席までやってくると、真理はカバンから薄いブルーの小さな箱を取り出し、恵介に手渡した。

「これって」
「バレンタインチョコレートよ。本当は昨日渡したかったけど」

 箱をまじまじと眺めると、裏に小さな写真入りのシールが貼ってある。いつかのゲームセンター遊びの時に撮った、二人が映ったプリクラである。

「ど、どうして黙るのよ。私のチョコなんか……嬉しくなかった?」
「いいい、いや違うって。一宮からもらえるなんて思ってなくてさ、驚いて声が出なかった」
「もうっ、失礼ね。私だって好きな人にチョコくらい渡すわよ」
「え?」

 恵介は耳を疑い、思わず聞き返していた。真理はしばらくして自分の発言に気付いたらしく、耳たぶまで真っ赤にして背を向けてしまった。

「い、今なんて?」

 訊ねても、真理は背を向けたまま黙っている。恵介は困ってしまったが、彼女に伝えることを思い出し、背中越しに喋りかけた。

「あのさ一宮、昨日はありがとな」

 不思議そうに顔だけ振り返る真理に、恵介は頭をポリポリと掻きながら続けた。

「俺ん家のことを言われたとき怒ってくれただろ。驚いたけど、嬉しくてさ。だからありがとう、って」
「だって悔しかったんだもの。あなたは私なんかよりずっと遠い場所を見てて、凄いなって思って……なのにあんな風に言われて、悔しかったの」
「一宮は優しいんだな。俺、今になってようやく分かったよ」
「な、なによもう。急に褒めたってチョコレートは増えないわよ」

 恵介は一歩踏み出し、背中を向けたまま恥ずかしがる真理をそっと抱きしめる。

「俺、一宮が好きだ」
「……ッ!?」」

 真理の身体は強張っていたが、嫌がる素振りは見せない。腕に伝わる温もりや、頬に触れる髪の香りを感じながら、恵介は訊ねた。

「俺のことをどう思ってるのか、もう一度言ってくれないかな」

 真理は恵介の腕を握り返し、小さな声で言った。

「好きよ……あなたのこと」

 それ以上は言葉もなく、恵介は背中越しに真理と唇を重ねた。キスが終わった後、真理の瞳は熱く潤んでいて、恵介はこのままさらに先へ進みたい衝動に駆られる。しかしその時、脳裏に父の言葉が浮かんできて、皮一枚と言ったところで理性を繋ぎ止めた。

「ご、ごめん。あと少しでただの馬鹿になるところだった」
「実はね、もしもあなたが押し倒そうとしてきたら、引っ掻いてやろうと思ってたのよ」
「あ、危なかった」
「あと少しだけ我慢しましょ。試験が終わったら、その時は……」

 恵介の唇に指先を当てて、真理は微笑む。それからの二週間は、学校の行き帰り以外は互いに干渉せず、邪魔にならないように努めた。短いようで気が遠くなるほど長い日々であった。二月末に大学受験の日程が終了し、長い長い受験勉強の日々もついに終止符が打たれた。試験のプレッシャーから解放されて、心ばかりか身体も軽くなったような気がしていた。試験後の登校日、恵介と真理は晴れ晴れとした気持ちで顔を合わせる事が出来た。この日は卒業式の説明で授業は無かったので、午前中に説明が終わった後、恵介と真理は教室を次の三年生へと明け渡すために行われる、教室の後片付けに参加していた。壁に貼られたポスターも時間割も、黒板の上に掲げられた一年間のスローガンも全て外され、必要ない物は全て処分し、それ以外のものは校内の一番端にある物置部屋へと持ち込んだ。最後の荷物を物置の棚に片付けた頃には、いつのまにか太陽は西に傾き、ゆっくりと西の海へと落ちていく所だった。恵介は真理を呼び、身体を寄せ合ってひとつしかない窓から海を眺めた。宵ヶ浜は水平線の向こうまで夕焼けの色に染まり、静かに朱く燃えている。恵介はわけもなくもの悲しい気持ちになって、真理の顔をそっと見る。彼女もまた同じ気持ちだったのか、沈んで行く太陽を言葉もなくじっと見つめていた。太陽の姿が半分ほど海に呑み込まれた頃、夕日の明かりに照らされながら、真理はぽつりと呟いた

「終わったのね……私たちの高校時代は」
「試験の結果が出るまで安心できないけど、とりあえず肩の荷が下りた感じかな。はぁー」
「ふふ、そうね」
「俺はなんとかなりそうな感じだったけど、一宮はどうだった?」
「分からない。でも実力は全部出せたと思うし、きっと上手く行くと信じてるわ」
「だよな。あんなに努力してたもんな」
「それだけじゃないわ」
「えっ?」
「あなたに出会って、大切なことを教わったもの。だから今、こんな穏やかな気分でいられるのよ」
「そ、そうかな? なんだか照れるな、はは」

 恥ずかしそうに笑う恵介に身体を寄せて、真理はそっと顔を近づける。

「ありがとう。大好きよ」
「一宮……」

 二人を遮る物はもうない。触れ合う温もりを求める心に、もうブレーキは効かなかった。部屋の扉に鍵を掛けると、二人は抱き合い唇を重ねた。

「ん……んんっ」

 真理のキスは大胆で、恵介を強く求めてくる。知的な表情に隠れた情熱を感じながら、恵介は真理を棚に押しつけるようにすると、熱に浮かされたような顔をした真理の唇を奪う。

「んっ、んぁ……はっ、はぁっ……」

 真理のシャツのボタンを外し、薄い水色のブラを上にずらすと、小ぶりの胸が顕わになる。すると真理は、とっさに両腕で胸を覆い隠して顔を背ける。

「み、見ないで」
「どうして?」
「だって私、胸が小さいから……自信ないもの。あなたも大きい方が好きだって言ってたじゃない」
「好きな子の胸に大きいも小さいも関係ないさ。すごく可愛いよ一宮」

 そう言って真理の腕をどかし、恵介は彼女の胸に顔をうずめ、ささやかな膨らみに舌を這わせた。

「やんっ、くすぐった……ひぁっ!」

 舌が動く度に、真理は身体をよじって逃げようとする。恥ずかしさに顔を赤く染めてはいるが、嫌がっている様子でもない。

「もしかして、一宮って感じやすいのか?」
「し、知らないっ。そんなの……ッ」
「ほら、乳首もこんなに立ってるし」
「あぁ……やぁっ、言わないで」

 棚に背中を預けたまま、真理はいやいやと首を振る。恵介は胸から顔を離し、スカートの中からすらりと伸びた足に目をやる。黒いタイツが余計に淫らに思えて、タイツ越しに彼女の太ももに触れてみた。閉じた両足の間に手を滑り込ませ、女の一番敏感な部分を指でなぞってみる。

「うぁんっ! ああっ、くぅ……んっ」

 真理の腰がぴくんと跳ねる。スカートの中をまさぐられ、羞恥に耐える真理の表情が、恵介の欲望をさらに加速させる。立ちっぱなしもそろそろつらくなり、恵介は隅に立て掛けてあった分厚いマットレスを床に敷いてみた。だが長い間使っていないせいか、埃っぽく微妙にカビ臭い。このまま真理を寝かせるのも少し可哀想で、どうにかならないかと辺りを調べると、学園祭の時に使った白い幕が棚の奥に置いてあるのが目に入った。これはまだ新しいし、使わなかった余りの部分だから新品と同じである。恵介は白い幕をマットレスに被せ、そこに真理を寝かせた。服を脱がせ、スカートをまくり上げると、タイツの下に白い下着の形が見える。それをゆっくり下ろしていくと、雪のように白く繊細な肌と、ほとんどヘアのない秘裂が恵介の目に飛び込んできて、ごくりと唾を呑む。



少し緊張しながらズボンを下ろそうとすると、真理は不安に震える瞳で恵介を見つけ、懇願した。

「ね、ねえ。お願いがあるの」
「なんだい?」
「あなたのこと好きだし信じてるけど。やっぱり怖い」
「うん……」
「だから逃げないように縛って」
「し、縛る?」

 予想もしなかった提案に恵介は目を丸くするが、言われたとおりにしてやろうと、手近にあった布きれで真理の両腕を縛ってみた。

「これでどうかな」
「あぁっ……これで私、もう逃げられないのね」

 真理は自分の両手を見つめ、恍惚とした口調で呟く。実際には痛くならないないよう、少し力を入れればすぐ解けるように結んだのだが、彼女は縛られているという事実に何かを強く感じている様子だった。

「一宮、足開いて」
「はい……」

 切なそうな声を出しながらも、真理は言われたとおりに両足をゆっくり広げていく。姿を現したその部分は、まだ誰にも触れられていないことを示すかのように綺麗で、透明の蜜で濡れていた。

「一宮のここ……すごく綺麗だ」
「やぁっ、そんなとこ見ないで」
「足を開いたのは一宮だろ」
「だってあなたがそうしろって」
「へえ、言われたらそうするんだ。素直なんだな」
「も、もうっ。バカ……」
「で、これからどうして欲しいんだ?」
「どうって、そんなの言えないわ」
「じゃあ、俺の自由にしていいのかな」
「……うん。あなたのしたいようにして」

 普段からは想像も付かない淫らな表情が、抑えきれない衝動へと駆り立てた。恵介は真理の股間に顔を近づけ、舌を出して舐め上げた。

「ひゃうっ!?」

 熱い。そしてぬるぬるとした液体が舌と口にまとわりつく。それでもお構いなしに、ぴちゃぴちゃと音を立てながら恵介は舐め続けた。

「んっ! やっ、やめ……そんなとこ舐め……いやぁっ、ああっ!」

 ピンク色の花弁の奥に隠れた突起を、舌先でつつく。その度に真理の身体がびくびくと震え、堪えきれない嬌声を漏らし続ける。特に敏感な突起をひたすらに舌で愛撫し吸い上げると、真理は気を失わんばかりに感じていた。

「やっ、いやっ、いやぁぁっ! おかしくなっ……ちゃ……ひうっ」
「いやいやって言うけれど、一宮のここ、どんどん濡れてきてるよ」
「ち、違……違うのにっ……ああぁぁぁぁ……っ!」

 真理の腰が浮いたと思うと、びくんびくんと身体を痙攣させて真理は放心してしまった。秘裂の入り口も、何度もきゅうきゅうと収縮している。

「一宮……イッっちゃった?」
「はぁ、はぁ、はぁ……」

 焦点の定まっていない目で、真理はこくりと頷く。恵介も我慢の限界で、ズボンを下ろすと机の上の真理に覆い被さり、そそり立った亀頭の先を真理の股間にあてがった。

「いくぞ……!」

 返事も待たず、真理の膣内へと割って入る。ぐちゅっという音と共に、恵介のものが真理の膣内を貫いた。真理は縛られたままの両腕で恵介の肩をぎゅっと掴み、自らの体内に押し入ってくる物体の感覚に歯を食いしばっていた。

「は、入ったぞ一宮」
「ぅあ……お腹が熱くて……これがあなたの……」

 痛いか? と訊くと、真理はゆっくり首を振る。多少は我慢しているかも知れないが、やせ我慢ではないと恵介は見て取り、安心した。

「ごめん、俺もう我慢が」
「うん、動いて。めちゃくちゃにしていいからっ」

 最初はぎこちなく腰を動かしていたが、それも慣れるとリズミカルなものに変わり、二人は夢中で快感を貪り合っていた。淫らな水音が、快楽に喘ぐ息づかいが、夕日に照らされて燃え上がる。

「き、気持ちいい……気持ちいいのっ。ああっ、うあぁ……っ」
「くっ、一宮……っ」

 恵介は舌を絡ませたまま真理を強く抱きしめ、より激しく彼女を貫いた。真理の両手を縛る布もすでに解け、彼女も恵介の背中に腕を回し、身体の奥まで突き上げられる快楽に身を委ねていた。

「ああっ、ダメ、もうダメなのっ。こんな、こんなに……ああっ、あぁぁぁぁっ!」
「うく……っ、出るっ!」
「あっ、あぁぁぁ……出てる……私の中に……あぁ」

 恵介の全てを受け止めながら、真理も絶頂を迎えた。疲れを忘れるほどに甘美で、言葉では言い尽くせない満足感を恵介は全身で感じていた。




 受験の結果発表の日が訪れた。恵介も真理も、無事に第一志望の大学入試をパスすることが出来た。特に真理が挑んだ試験は全校でも最難関と言われるレベルのもので、合格したと分かったときには涙を浮かべて喜んでいた。通う大学は別々になるが、そう遠くに離れるわけでもないし、会おうと思えばいつだって会うことが出来る。恵介と真理は、新しい生活の幕開けに胸を躍らせながら、互いの受験成功を祝い合った。

 卒業式の後、恵介は真理と一緒に宵ヶ浜の海岸を歩いていた。天気は快晴で、波も穏やかである。真っ青な水平線と青空を背に、恵介は真理を見た。最初に辞書で殴られたときと比べて、ずいぶんと彼女の雰囲気は柔らかくなった。後ろで結んだ長い髪が潮風に揺れて、太陽のまぶしさに眼を細める真理の飾らない笑顔は、とても綺麗だと恵介は思った。

「うーん、いい天気」
「まさに最高の卒業日和……ってやつかな?」
「これからの未来も、こんな風に晴れていたらいいのにね」
「晴れたらいいじゃなくて、晴れにするんだよ。大丈夫、この先だってなんとかなるさ」
「ふふ……そうね。きっとなんでも叶えられるわ、私たち」

 真理は柔らかい砂の感触を確かめながら、じっと水平線の向こうを見ていた。

「どうしたんだ、遠い目しちゃってさ」
「思えば私、ゆっくり景色を眺める事も忘れてたんだなあって思って。海も空も、こんなにも綺麗だったのね」
「ああ、綺麗だよな……」

 恵介は真理の方を見たまま、そう呟く。

「やだ、なんでこっち見て言うのよ……恥ずかしいわ」
「あ、つい……でも知り合ったばかりの頃より、今の方がずっといいよ」
「そ、そう?」
「ああ、前より尖った部分が消えて……えっと、可愛くなったっていうか」
「あ、ありがとう。あなたも前よりずっと素敵よ」

 なんだか照れくさくて、二人とも赤くなって笑い合う。その後でそっと手を繋ぐと、二人はどこまでも青く広がる空と海を見つめていた。

「私ね、夢が出来たの」
「へえ、どんな?」
「あなたの夢の手伝いをすること……それが私の夢。って、これじゃダメかしら?」
「いや……そんなことない。ありがとう一宮。俺も頑張るよ。その夢が間違ってなかったって言えるようにさ」
「ええ、きっと出来るわ。あなたなら」
「あ、そうだ。ひとつ頼みがあるんだけど、いいかな」
「え、ええ」
「俺のこと、名前で呼んでくれないか? あなたってのは、なんかまだ早い気がしてきてさ。俺も一宮のことは名前で呼ぶようにするから」
「そ、そうね……あなたは将来の為に取っておいた方がいいわよね」
「しょ、将来?」
「な、なんでもないわ。えっと、それじゃ。これからもすっと、ずーっとよろしくね、恵介」
「こちらこそよろしく、真理――」




 数年の月日が流れ、大学生活も終わりが近づいていた。恵介は大学生活の全てを自作オートバイの研究と開発に費やし、いよいよその成果を発表する時がやってきた。研究が形になるまでには数え切れない失敗があり、いっそ投げ出してしまおうかと思ったこともある。そんな恵介を支え励ましたのは、彼以上に夢の実現を信じ、決して諦めない真理の存在だった。

「準備はいい?」

 とあるサーキットで、レース用のツナギを纏い、自ら作り上げたオートバイに跨る恵介と、その隣でスコアブックを持って見守る真理の姿があった。長い時間を掛けた試行錯誤と努力の結晶が、その時を待ちわびているかのようにエンジンを震わせている。

「セッティングも整備も完璧。あとは真理の考えてくれた車体強度の計算が正しいって事を証明するだけだ」
「うん……でも万が一のこともあるし、気をつけてね」
「大丈夫。俺は信じてるよ。今日この日が、俺たちにとって最高のスタートになるんだ」

 アクセルをひねると、獣の咆吼に似たエキゾースト音を鳴り響かせ、二人の夢を乗せたオートバイは走り出す。その様子を見守る観客の中に、オートバイ大手メーカーの技術者が何人も混じっており、その出来と走りに感心して頷いていた。

 さらに年月が経ち、恵介はオートバイ業界で有名な開発者となり、数々の優秀なオートバイを設計し世に送り出した。雑誌などのインタビューで、自分の夢とアイデアを実現させて成功したことについて訊ねられると、必ずこう答えた。

 決して諦めず、最後まで自分を信じてやり抜くこと。
 そしていつも、自分の隣にはかけがえのない人がいたからだ――と。


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